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――――――――――――――――――――――堕ちている。
【女】自分自身がゆっくりと溶けていくのを感じながら、それを自覚した。
寒いのか暑いのか、全くわからないその場所にいつからいたのか全く覚えがない。
(あぁ、ようやく、死ねるのか)
そう考えた瞬間、走馬灯を見た。
さして美しくも可愛くもない、どこにでもいる女だった自分がゲームの世界らしい場所に入り込んでしまったこと。
女性としての尊厳を踏みにじられ、死を選択したが他人の肉体に憑依する形で生き延びたこと。
自分と同じような異邦人であるのに、自分にはない特別な存在としてその世界に『認められた』高校生たち。
その一人に殺され、そして今度はその世界の住人として生まれ変わり、ほんの数年ほど時間も逆行したが最後にはやはり殺された。
殺したのは、自分の伴侶として数年、身体を重ねた男だった。
恋慕の情はなかったが、少なくとも身体を許してもいいと思える情はあった。
まさかこの伴侶が、侍の狂気に犯され、迷信を信じ込むとは思ってもいなかった。
彼女の最後は世界に『認められかけた』女子中学生とともに、男の刃を身体に受けて炎が身を包んだ。
怨念、憎悪。
おおよそ負の感情と言われるものに支配され、恨んで恨んで命を落としたはずなのに、未だに『自分』という意識があることを不思議に思う。
「このまま、死にたい?」
それは『自分』の心の声だろうか? または誰かからの呼びかけなのだろうか?
【女】は気がつかないまま、堕ちていくままに自分の人生を振り返った。
思えば人並みの幸福を得たことはつかの間だった。
恋愛もしていない、金銭的な余裕はない、差別社会をいやというほど味あわされ、理不尽に耐えてきたのに報われない。
自分の都合や欲望でそうなったのならば、まだ諦めがつく。
諦めて流されるままの自分でも、納得がいく。
しかしあの『世界』に行ったのは、自分の意思では間違いなくない。
(所詮、人生なんてそんなものかもしれない)とそう思ったときに、彼女は確かにこう聞いた。
「本当に?」
(本当に?)
「こんな終わりでいいの?」
(こんな終わりで…いい…)
わけがないだろう。
【女】は歯を食いしばった。
悔しさがにじみ出る。
普通に生きていく分には充分な現代社会から、突如としてその生活を奪われ続け、踏みにじられ、嬲られ、そして虐げられた。
愛する心はかろうじて、しかし恋する心は枯渇した。
神に祈ることも仏に死後を預ける生活も信じられず、地獄という名の戦国時代での現実に打ちのめされた。
残っている肉体全体に力がみなぎったのと、それと同時に『自分』が溶けていく速度が遅くなったのは錯覚だろうか?
「生きたいの? 逝きたいの?」
(生きたい! 生きたかった! 少なくとも、あんな世界で理不尽に踏みにじられる覚えはなかったのに!!)
切実な【女】の心の叫びに、落下が止まる。
【女】の脳裏に、また声が響いた。
―――――おはようございます、こんにちは、こんばんは。
―――――貴女の名前を入力してください。
【女】はかつての自分の名前を叫んだ。
戦国時代に叩き落とされた、現代社会で生きていたときの懐かしい名前を。
―――――霊子世界【ムーンセル・オートマン】のへのアクセスを確認、受理します。
ザッという妙な混線した時の音が【女】を支配していく。
溶けてしまった肉体の欠損部分がゆっくりと再構築されていくのを感じ取ると、【女】は視線を感じてそちらに顔を向けた。
そこにいたのは、犬だった。
いや、もしかしたら狼かもしれない。
―――――強き魂 をもつ者よ。
そう言ったあと、その犬は目を細めたように【女】は感じ取った。
―――――お主の魂に、幸いあれ。
―――――【ムーンセル・オートマン】ランクA管理AIの管理下に入ります。
―――――なお、【ムーンセル】内部において規定区域以外の戦闘行動は禁止になっております。禁止行為を行った場合、消去される可能性があります。
犬の言葉に重なるように混線した音がそう囁き、何かを言い返す前にもうその姿は消えていた。
次に出現したのは長い髪の美少女の姿――――がかき消される。
エラー発生! という文字と警告音のような音が響き渡り、周囲が赤く染まるのを彼女が理解する間もなく、それがそこに出現した。
―――――【この◆、全▼の◆】を確認。現在の管理体制が破棄されました。
そこに現れたのは尼僧だった。
「あなたの憎悪を肯定しましょう。あなたの全てを肯定しましょう」
尼僧はその匂い立つ色香をまとったまま、話しかけてくる。
「いいですわ、アナタ…とても、とても。その執念は尊敬に値します」
さぁ、と白魚のような手が差し伸べられる。
「アナタを作り上げましょう、アナタの魂の全てを私に見せてください」
ず ぶ り。
その白い指が自分の中に入り込むのを見た。
【世界】のシステムが自分の中に入り込んでくる。
それと同時に【自分】という存在が世界の中に刻み込まれていく。
そう強く感じたときに、それはどことなく性行動による快楽にも似ていた。
初めての快楽…惚れた異性に足を開いたことのなかった彼女にとってそう感じたほどの…は強烈で、そして止まらなくなった。
かすかな嬌声を上げる自分が止められない。
―――――肉体・精神構造の改変の為、現在構造の確認を行います。
うふふ、と尼僧が笑うと同時に指が動く。
「さぁ、見せて」
かすかな嬌声を上げる自分が止められない。
はいっきりと覚えていたのは、彼女がその美貌に歓喜の笑みを浮かべていたことで、次の瞬間記憶は曖昧な闇に包まれていった。
それが前世と今世の狭間…霊子世界【ムーンセル・オートマン】での、かつて彼女と称された存在の最後の記憶だった。
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