なにがあっても俺から離れるなよ。誰もが善人じゃねえんだ、この中には悪人だってまぎれてんだぜ。
 いいな、わかったな、はぐれるなよ。頼まれ事されたからって、ほいほいついてったらおしおきだからな。Okey?

 はムスッとしたまま頷いた。
 …当たり前じゃない。そんな、噛んで含めるような云い方をしなくても。
 あたしは子供じゃないのよ、わかってるわ。
 あんたより年上なんだから…わかってるの?





Come what may.















 お忍びで邸の外に出かけた二人は、肩を並べて歩いていた。
 ちょうど夏祭り最中な城下は大層なにぎわいを見せており、気を抜くと波に溺れて迷子になりそう。片時も離れられない。

 漆黒の着流しを着た政宗の色気は常より五割増しだ。
 銀糸に縁取られた蒼い流水の繍が裾に走るそれは、どちらかというとシンプルで渋いデザインなのにやたら豪奢に見えた。
 彼は存在自体が派手なのである。いくら地味にしようと無駄、纏うものの価値さえ上げてしまう。
 なにを着たところで、人並外れた艶と覇気は隠しきれないのだ。
 本当によく似合っている。惚れた弱みを差し引いたって、年下の竜は美麗だった。
 もしも恋人同士なら明かしていただろう、「惚れ直した」と。
 でも云えないから、心の中だけでは繰り返した。素敵よ。相変わらず趣味がいいのね。…恋情がまた育った。どうしてくれるの。
 ただ、着付けには苦労した。『貝の口』という型で帯を結んでやる際、抱きつくような恰好でごそごそ動くたび、ふざけてしがみついてきたり、間近に迫ってきたりした政宗にかなり遊ばれた。
 いちいち過剰反応して叫ぶこちらが悪いのか。もういやだ。おかげで喉がイガイガする。

 …正直、隣にはあまり立ちたくない。だって心臓に悪い。こんなところで過呼吸になって倒れたらどうしよう。
 それに、こちらは政宗のせいではないけれど、嫉妬や非難といった念をばしばし飛ばしてくる同性が怖すぎる。あからさまな悪意をぶつけられ、胸が苦しくなる。
 混雑した場所は大の苦手だ。誰かの視線を終始感じるから落ち着かず、そわそわしてしまう。勝気さはすっかり萎え、はもう、せめて人混みに酔わないように、置いていかれないようにと頑張ることしかできずにいた。
 でも…そろそろ本格的に怖くなってきたから、ちょっと離れてほしいな…と思ってみたり。
 ねえ、政宗。
 呼びかけても声が聞こえないのか、はたまたわざと無視しているのか。政宗は気づいてくれない。
 誰か彼かと目が合うから貌を上げられず、上目遣いで見つめて袖を引いても反応してくれない。
 それが媚びに見えたのだろうか。擦れ違いざま、知らない女性がわざとらしく衝突してきた。思わずよろめく。
 そんなを、政宗は咄嗟に庇った。

「え……ま、政宗……」
「What?」
「う、あ、あの…Whatじゃなくて…腕…、が」
「…はぐれたら困るだろ」
「えええぇ……」

 腰に回されたしなやかな腕。転倒するのは免れたが、でも。
 ……いくらなんでも密着しすぎだ。はぐれ防止なら、手をつなぐだけで充分だと思うのだけれど。
 どきどきしつつ、それでも表面上は冷静さを装って指摘してみたら。

「Ha, そんな脆い拘束じゃ人波に持ってかれんのがオチなんだよ。ここはそういう場所なんだ」

 そう返されたので、しぶしぶ納得するしかなく…そんなものなの?
 現代日本の常識しか知らない自分よりも、地元民である政宗に従ったほうが得策ということか。確かにそうかもしれない。こんな激しい流れでは、手や腕を組んだくらいでは到底逆らえないだろう。
 それはまさしく正論で、そうしてもらってからはすいすい歩けた。全身に刺さってきていた悪意もなぜだかなくなった。
 こうして苦もなく移動できるのは、こちらを助けながら歩いている彼のおかげと悟る。
 羞恥はあるけれどとても心強かった。慣れない華やかさと見知らぬ人に対する恐怖が、政宗のぬくもりに触れることで和らぐから。
 壁になってくれてありがとう、ごめんね。
 震える手で広い背に縋り、ほうっと安堵の息をつく。謝罪の色を混ぜて感謝。アンタが気にすることじゃねえよと政宗は笑った。
 心遣いが嬉しくて、固く結ばれていた口唇はゆるゆる綻んでいく。強張る肩を、はゆっくり下ろした。

 つぶされるぞ、もっと寄れよ。
 今の状態でも充分ありがたいのに、のほうに歩いてくる大柄な集団が近づくと、そんな忠告もしてくれる。
 本当に優しい子だ、おまけに気配り上手。
 それに甘え、隣の熱に心持ち身を寄せる。大好きな腕にぐっと支えられた。
 ああでも……やっぱり、少し恥ずかしい。意識しているのがバレたらどうしよう。政宗は普通なのに、自分だけがおかしくなっている。バカみたいだ。
 ほんのり染まった頬を隠すため、俯く。
 だから気づかなかった。
 殺気を宿した隻眼が、政宗をを妬む男女を睥睨していることを。
 嫌悪と侮蔑の眼差しを注ぎ、一人の洩れもなく撃退していることを。
 夏祭り会場の一部分が凍りついている理由を、首を傾げるばかりのが理解することは到底なかった。





 とはいえ、そうそううまい具合に話が進むはずはなく。
 と政宗はさっそく離れ離れになっていた。
 真正面からドシンとぶつかってきた男の衝撃に耐え切れず…というか、離すものかと頑張る腕に痛い痛いと泣いたら解放してもらえたのだが…まあ、そういうわけで二人は別れるハメになった。

 『てめえ今わざとぶつかりやがったなッ、後で覚えてろみんちにしてやる!!!

 …後を追ってきた物騒な科白は冗談だと思いたい。ミンチって。そんな言葉使っちゃダメじゃない!
 ちなみに政宗の読みは当たっていて、男は本当に不埒な小者だった。ネエちゃん俺に付き合えよと迫るのをさっさと沈め、今しがた路地裏に捨ててきたところだ。ミンチではなく叩いて伸ばすくらいにしておいた。
 初めて来た場所。土地勘はないが方向感覚には自信がある。先ほど政宗と歩いた地点まで登ろうと頑張る…の、だが。

「く、苦し……っ」

 群れの真ん中に挟まれて身動きが取れない。波間をかいて前進しようとするも、女の力ではどうすることもできなかった。
 仕方なく横に泳ぎ、街角で休憩した。浴衣はひどい状態。開けかけた袷をさりげなく直す。
 まったく…あの男にあと三発くらいお見舞いしたい気分だ。
 たぶん政宗もこちらを探しているはず。どうしよう…下手に動き回るより、人目につくところで待っていたほうが早いかも。
 不安で泣きそうになりながらきょろきょろ歩いていたら、袂を不意に引く者が居た。もしかしたら。
 期待して振り向くと、

「あら……」

 小さな子供がちょこりと座り込んでいた。転んだのか泥だらけで、膝には大きな擦り傷。
 なんて痛々しいの…可哀そうに。
 迷うことなくしゃがみこみ、泥を払ってやる。持ち歩いている水でハンカチを濡らして傷口を清め、新たなハンカチを巻いて応急処置。
 どうしたの、お母さんとはぐれたの。
 泣き濡れた頬をそっと拭ってやり、話しかける。ひっくひっくとしゃくりあげているので、迷子になってからそこそこ長い時間が経っているらしい。
 誰にも声をかけられなかったのか。不安だったろうに、ここにずっと座っていたのか。
 こくこく頷いてしがみついてくる子供はぶわっと涙を浮かべ、大声で泣き始めた。
 とうちゃんとかあちゃんがいない、どっかいっちゃった。
 ひとつひとつに相槌を打ち、は小さな背をあやした。大丈夫、大丈夫よ。寂しいのに一人で待ってたのね…いい子ね。
 なんだか…目許が政宗に似ている気がする。琥珀色の優しい瞳。
 だからよけいに案じてしまう。
 これ以上は心細くならないようにと笑いかけた。まずは落ち着かせないと。子供は敏感だ、こちらが暗くなってはいけない。

「…じゃあ、お姉ちゃんといっしょに捜してみない?」
「さがせるの…?」
「絶対に見つけてあげる。お父さんとお母さんがどんな人なのか、教えてくれると嬉しいのだけど…いいかな」
「……うん!」

 ようやく元気になってきた子供を抱き上げ、泣きすぎて垂れた鼻水をもう一枚のハンカチで拭く。
 ちょっと照れくさそうにするものだから、の胸はじんわり暖かくなった。微笑ましい。
 あの中にまた飛び込むことを思うとやや気が重いが、頑張れそうだ。
 おねえちゃん、ありがと。
 ううんいいのよ、さあ行きましょう。
 擦り寄ってくる幼い命をしっかり支え、頭を撫ぜる。

 『ほいほいついてったらおしおきだからな』

 ふと、そんな云いつけがよぎったけれど。
 …ごめんね、政宗。人助けだから…許して。
 簡単なメールを彼に送り、と迷子の冒険は始まった。





 その頃、政宗は走り回っていた。
 電話がつながらないから余計に心配だ。あの人は、隙のないキレ者と見せかけて結構ヌケている。
 今ごろ変な男にころっと騙されて、どこかに連れ込まれているかもしれない。違法な物売りの芝居にうっかり同情して、妙なものを売りつけられているかもしれない。優しいから。優しすぎるから。……心配だ。
 跳ね飛ばした人にときおり掴みかかられるものの、形ばかりの謝罪の言葉と一睨みで退散させ、ひたすら突っ走る。
 強面の政宗にぶつかる人は居ない。怯えたあちらが自動的にスイスイ避けていってくれるのだ。これは便利だ。
 往来のど真ん中を突っ切る竜は、色の浴衣を見つけようと、必死に辺りを見渡した。
 どこ行った。クソ、暑ィ。さすがに疲れてきたぜ。
 呼吸を整えるために立ち止まって汗をぐいっと拭けば、懐に仕舞った携帯が不意に震える。慌てて取り出し、メールのチェック。よかった、これで手がかりが…あ?
 ……まさかこんな薄い内容とは思わなかった。

 『今、迷子のこじろうくんのご両親を捜しています。心配しないでね。

 ……ハァ? こじろう? 誰? 迷子?
 え、これだけ。いや、そうじゃなくて場所は。そこが重要だろオイ。
 どれだけヌケているのだ、どこまで優しいのだ。ごった返してる場所が苦手なくせになにやってんだか。まあそういうところが好きなんだが、だが……ああもう!
 頭にキた政宗はボタンが壊れるほどの勢いで高速返信した。そんなことより場所云えよ、目印とか!
 携帯をパチンと折りたたみ、また駆けた。
 ―――やってらんねえ、どうしてこんな目に。
 愛しく不憫な躰を抱き寄せていられたのはほんの数十分だけ、一時間も経っていない。細い腰だった。守ってやらなければ折れてしまいそうな。
 …人混みが苦手とは知らなかった。それに、不特定多数の意味不明な悪意に弱いということも。
 男の欲望と女の嫉妬を一身に浴びたはひどく憔悴していた。貌色も悪く、気の強さも鳴りを潜め、果敢なく消えそうで見ていられなかった。
 いつもしっかりしているからつい忘れてしまう。あの月のような人は、本来は繊細でか弱い人なのだ。もっと気を配るべきだった。
 ひとりにしておけない。俺が傍に居てやらないと。
 なのに…Damnit!
 それもこれもあんなつまらねえ野郎のせいだ。『みんち』の刑だ決まりだな。
 もう一度電話してみようか。懐に手を差し込んだちょうどそのとき。

「あっ……」
「Oh…I'm glad you were able to meet you! Ha−ha!」(こりゃまた…会うことができて嬉しいぜ、ハハ!)

 なんの因果か。日頃の行いのおかげか。
 会いたかった人物にばったり出くわし、政宗は爽やかに笑いかけた。我ながら実に魅力的なにこやかさを振りまいていると思う。
 なにを勘違いしたのか黄色い悲鳴を上げる若い女たちが、頬に手を当てて見惚れてくる。冷たく無視した。そんなものを相手にしている暇はない。気もない。皆無だ。
 さて、満面の笑みを向けられた本来の相手といえば。
 あんなふうに煩わしく喜ぶはずもなく、ヒッと喉を鳴らした。ぶわっと溢れた脂汗、血の気の引いた膚色。
 見つけた。を攫ったロクデナシ野郎を。
 ヒューと口笛を吹いて歩み寄る。なんて運がいいのだろう、あちらから飛び込んでくるなんて。
 彼女を捜さねばと思うが、このままでは腹の虫が治まらない。ここは一発……。
 不安な空気を感じ取ったのか、じりじり後ずさりする男を逃がすことなく首元に『らりあっと』。グホッと噎せるのに構わず、腕を引っ掛けたまま大股に歩を進めた。
 ちょ、ま、すっすいませ…!
 後ろ向きにズルズル引き摺られる男は、息苦しさに呻きながら謝罪を繰り返した。くつくつ喉を鳴らす政宗は、愉悦に掠れた低い猫撫で声を出す。

「おいおい、なんの心配してんだ。痛くねぇ痛くねぇ、一瞬だからな。優しくしてやるって…な、だから、おとなしく斬られろ
「きっ斬ったらだめだろおおおぉ!!!」
「Ah-han? 俺が法律だ、俺がいいって云ったらいいんだよ。ほらなんの問題もねえだろ、You see?」
「ゆーし…い、意味わからんが違う、さっきのは違うんだ、誤解っ…じ、じ、事故なんだ、ほら、隣のヤツに押されて!」
「Don't be afraid…なにも感じるヒマはねえって、俺は巧いからな。一瞬であの世逝きだぜ」
「いやだああぁ殺される!!!」
「やれやれ、おとなしく斬られてくれよ」

 Hahaーと笑いを撒き散らし、路地裏へ。当然だが隻眼は欠片も和んでいない。殺伐としていた。
 ここあのネエちゃんにぶん殴られた場所じゃねえかーと泣きじゃくる男を気にすることなく腕まくりをする。なんだ、先ににおしおきされていたのか。
 どっちに行った。
 みっ右に行かれましたぁ!!
 Uh-huh、知ってんのかい。そいつァ嬉しいねえ。
 だ、だから見逃してください!
 …この期に及んでまだ云うか。Coolじゃないヤツめ。

「What the hell? よく聞こえねえな」(なんだって?)

 指をボキボキ鳴らし、首を傾けて斜めに睨みつけてやる。やっと観念したのか、震えながら拳を構える男。少しは楽しめそうだ。
 政宗は極上の笑みを浮かべ、宣言した。

「さあ、これからがpartyってヤツだ」

 …だが、本当に『みんち』の刑をしたら後で困りそうだから、叩いて伸ばす程度で勘弁してやった。よろよろ逃げていく男に、脆いものよと吐き捨てて大通りに戻る。
 走りすぎて足は泥だらけになっていた。
 焦りは強まる一方。…どこに居やがる。無事か。なにもされてないか。
 メールの返事はまだ来ない。気づけない状況に在るのか、はたまたヌケているから気づかないだけか?
 ああもう…だから離れるなと云ったのに。どうにもほうっておけない人だ。年上のくせして無防備すぎる。
 顎から滴る汗が邪魔だ。髪は水をかぶったかのように濡れ、気持ちが悪い。こんなに走っても見つけられないとは。
 …まさか、わざと俺から逃げ回ってんじゃねえだろうな。またなにかに首突っ込んで、厄介事に巻き込まれてんじゃねえだろうな。
 次第にイラついてくる。

 はたして、政宗の読みは当たっていた。
 ちょうどその頃、は騒動を起こして困惑していた。





 子供がぶつかっただけだ。なのにそこまで怒るのは大人げないのではないか。
 …思ったことをズバッと口走る性格は直したほうがいいかもしれない。逆上した男は、先ほど鞘から小刀を抜いたばかりだ。あたしよりも短気なのねと呆れてしまう。
 重い貧血の中、これからどうするかを考える。
 いつまでも鬼ごっこなんてしていられない。子供を抱えたまま逃げ回るにしても体力が持たないだろうし、なにより、距離は縮まるばかり。
 ……仕方がないか。
 は人混みにまぎれ、迷子を密かに逃がした。ひとりぼっちにさせてごめんね、でもすぐ戻ってくるから待ってて。
 いい子だからと頭を撫で、ひと気のない場所まで男を誘導する。
 まあ、その男というのは―――。

「あなた、暇人なのですか…」
「うるさい! さっきはよくもぶん殴ってくれたな!」

 を政宗からはぐれさせた張本人だった。まだ懲りないの。学習能力のない人だ。
 凶器をかざせばおとなしくなると思っていたのか。態度の変わらないに、逆に男が焦った。
 ね、ネエちゃんこれが見えないのか!
 見えますけど…目はいいですし。
 じゃあなんでそんなに落ち着いてるんだ!
 そんなことを云われても…。
 なんなのこの人。怖がったほうがいいのかどうか。でも精神的にそろそろ限界だ、それによく考えたらそんなことをしてやる義理などなかった。流される前に気づけてよかった
 ゆらゆら定まらない視界をなんとか保たせ、背筋を伸ばす。これしきの男、丸腰でもたやすく撃破できる。
 ダメよ、もう少し頑張らないと…ここには自分しか居ない。助けは来ないのだから。
 そう云い聞かせ、背筋を戦慄させる悪寒をきゅっと耐えると。
 救ってくれる人は、いきなり現れた。

「おいおいおい…またおめえかよ、あァ?」

 めいっぱい広げられた五本の長い指が男の首裏をぐわしと掴み、ギリギリ締めつける。ギャーと絶叫して飛び上がるのを、は呆然と見守った。
 ドスの効いた声。静かに怒り狂う姿。
 あれはまさしく。

「まさむね……?」

 薄茶色の髪、黒い着流し。おうと応じるのは…政宗、だ。
 愛しい名を呟いた瞬間、とうとう耐え切れなくなって。
 座りこむ。立ちくらみ、眩暈。
 彼の前では弱くなってしまう。ほっとするから、本来の自分に戻ってしまう。
 我慢できる痛みの範囲など、本当はとうの昔に超えていた。

 カオ真青だぞ、具合悪ィのか?
 ん……。
 それだけをやっと返し、弱く頷く。よかった、漸く出逢えた。
 凄まじい右ストレートで男を吹っ飛ばした政宗が駆け寄ってくる。あんな人だが、やりすぎじゃないのとはらはらするの注意をぐりっと自分のほうに向けさせ、抱きついてきた。

「俺が迎えにきたってのに、あんなクズいつまでも見てんな」
「でももし…」
「いいから。…アンタ気ィ回しすぎだ、調子悪いときはなにも考えず俺に凭れてろよ」

 呼吸は乱れ、汗まみれ。まさか…ずっと走り回ってたの。
 その問いかけを曖昧に濁し、大きな手が乱れた後れ毛を整える。
 もう大丈夫だからなと、滲む涙にキスをして抱きしめてくれる政宗。は思わず擦り寄ってしまった。
 離れていた間の寂しさ、不安。こうしてまた触れ合える喜び、安堵。
 それらがごちゃまぜになって襲いかかってくる。揺れる心を制御できない。
 迷子になった挙句泣きつくなんて、いい歳して実にみっともない。けれど、正直に云うと心細くてたまらなかった。
 見渡しても他人ばかり、勝手のわからない未知の土地では誰にも頼れなくて。
 ひとりでも平気と意地を張り続けることしかできずにいた。

 ……逢いたかった。怖かったの。
 本心を小さく明かす。震える躰を包んでくれる人が政宗だから、普段は殺してばかりの弱音をほろりと零した。
 優しく受け止める彼も云う。俺も逢いたかったと。一筋だけ転がり落ちる涙を拭われる。
 囲いの中で俯いて頭痛に耐えていると、小さな手が頬に当てられた。
 おねえちゃん、どこか痛いの。だいじょうぶなの。…ああ、もしかしてこの子が政宗を連れてきてくれたのか。
 これ以上の心配をかけまいと、にこりと微笑む。大丈夫、助けてくれてありがとうね。

 その後やってきた役人らしき人に、腰を蹴り飛ばして男を突き出した政宗の貌は極悪だった。
 ちょっとブルブルしてしまった。






 母親に抱き上げられて大喜びする迷子を見守り、何度も何度も頭を下げる父親と握手を交わし、と政宗はやっと帰途についていた。
 道すがら、抱えていくと何度も云われたが、申し出は丁重に断った。
 駆け回って疲れているはず、そんなことはしてもらえない。…恥ずかしいし。
 を気遣ってゆっくり歩いてくれる政宗と腕を組む。手つなぎは安定が悪くてふらつくから、こうした形に収まった。ひとりで歩けると繰り返しても、政宗はまったく信じてくれなくて、結局こうなった。
 半ば凭れかかるように身を預けて足を引き摺るは、傍から見ると死にそうに見えるらしい。彼はとうとうこちらの意見を無視し、姫抱きを仕掛けてきた。そして濃い緑が生い茂る原を突っ切って土手を駆け下りた。
 川辺にそうっと下ろされ、肩を並べて座る。水のせせらぎが耳に心地いい。
 深く長い嘆息を洩らすと貌を覗き込んでくる琥珀の瞳。背を撫でられ、苦悶の細い喘ぎを洩らしてしまう。…苦しい。風呂でのぼせたときみたいに頭が重い。
 政宗が舌打ちする。

「…ごめんな。連れてきた場所が悪かったな」
「ううん、楽しかったわ。…はぐれさえしなければ」
「あの野郎、もっとぶん殴っとけばよかったぜ」
「もう…いいじゃない、そんな物騒なことは云わないの」

 弱く微笑し、まどろみかけている優美な睡蓮が咲く川に素足をひたして夕涼み。ふと視線を移せば、政宗の白い指が泥だらけになっていることに気づく。
 …綺麗好きな潔癖症なのに。こんなになってまで…。
 きゅっと口唇を噛み締め、下駄を脱がせる。なんだなんだとたじろぐのに構わず、はこびりついた砂埃を丁寧に清めた。
 バカやめろとの抗いは無視。子供は大人の気遣いを甘んじて受けるものよ。つんとすましていたら、アンタってときどき強引だよなと呆れられたが、それはお互いさまだ。
 政宗はの浴衣の袂と腰を持ち、支えた。
 …いくらなんでも頭から水に突っ込むなんてマヌケなことはしない。主張しても、いや、アンタならやりかねないと返された。ふざけた様子は皆無の真摯な説得。腹が立った。
 親指と人差し指の内側を擦っているとき、作業する指を間にきゅっと挟まれ、動きを妨害される。他愛ない悪戯。
 笑って咎めると、くすぐってえんだよとそっぽを向かれる。たぶん、甘やかされて照れているだけ。なんて微笑ましい。
 本日四枚目のハンカチで水気を取り、次は下駄を洗った。それから川上にひたしたミニタオルを絞り、今度は膚を拭いてやる。眼帯を外してもらい、その下も。
 汗に濡れた部分を隅々まで撫でていたら、ごそごそ動いた政宗が、纏め髪になにか挿してきた。なんだろう。硬い感触。
 手を止める。

「なぁに?」
「花簪。……今日の侘びだ」
「わ、侘びって…むしろあたしが」
「いいから黙って受け取れよ」

 話を強引に切り上げ、腰を抱き寄せる腕。は固まった。それでもなんとか声を振り絞り、ありがとう、ぼそぼそ囁く。
 ん、と笑う政宗はひどく嬉しそうだ。やっぱり似合ってるぜ、買ってよかったと自画自賛。
 月が輝く水面に姿を映してみると、煌びやかな螺鈿が埋め込まれ、淡い光を帯びた真珠が飾りに使われているやや小ぶりな簪がちらりと見えた。地盤は黒檀。幾重もの工夫を凝らされた繊細な意匠。
 とても綺麗でうっとりしてしまう……。
 ―――でも、ちょっと待って。
 これは…とてつもなく高価な代物、では。サーッと血の気が引いていく。
 う、嬉しいけど、こんな立派なものをもらってもいいのかしら…いやよくない。いいはずがない。
 値段を聞いたりするのは野暮だし、せっかくの好意を無駄にしてしまう。
 政宗はそれをひどく嫌っていた。こっちが勝手にやってんだ、アンタはなにも気にせず使えばいいと無茶な説教をするのだ。もう何回云われたかわからないくらいに繰り返されても、が慣れるはずもなく。
 今日も小さく切り出す。

「あの、これ……」
「Not too bad, is it?」(なかなかのもんだろ?)
「そうじゃなくて、」
「もっと明るい色のがよかったか?」
「違う、これ、返」
「…You never learn…もう諦めろ、勝ち目はねえんだから」(懲りない人だな)
「えええぇ…」

 ……あたし、この子より年上なのに。立場がない。
 しおしおとうなだれる。じゃあ…うぅ、いただきます。
 そうやって素直に取っとけばいいんだと云われ、できるはずがないじゃないと軽く拗ねる。いつもいろんなものをもらっている。その上またこんな…もう。
 でも、ありがとう。
 躰を寄せる。すっかり冷えた爪先から寒気が這い登ってくるから、ぬくもりが恋しくなった。
 手持ち無沙汰に煙管を弄んでいた政宗は、やれやれと肩を竦めると。

「アンタほんとに無防備すぎるだろ…」
「え、なに」
「…なんでもねえよ。最近、甘え方がうまくなったんじゃねえか」
「そうかしら。ごめんね、だってあたし、政宗にしか甘えられないから」
「は、あ?」
「だ、だって…一番身近に感じるの、政宗なんだもの。だから気づいたら頼って…、…っ…な、なに?」

 いきなりぐいっと引き寄せられ、胸にぽすんと倒れこむ。目を白黒させて起き上がろうとしてもだめ、足の間に座らされ、背面から回ってきた腕にぎゅぎゅーっと抱きしめられる。
 意味がわからない。どうしたの。
 そう云ったら、そのクセこれだからなァもうやってらんねえよと嘆かれる。
 ムカッとした。

「……どういう意味よ」
「よく考えりゃわかるって」
「わからないから訊いてるの」
「…この男殺し」
「なによそれ…」

 頬をふくらませる
 あまりのニブさ…というか、ストレートな告白に、政宗はもうどうしていいのかわからなくなった。あんなことを云われて喜ばない者は居るか。いや、居るはずがない。
 …求愛してる男に期待持たせなセリフ連発しやがって。
 いいかげんにしねえと襲うぞコラ。ガマンしてやってんだがな、それにも限界があるんだぜ。
 黙して煙管を咥えていたら、は不安そうな面持ちになる。…あたし…なにかまずいこと云ったかしら。ごめんね、迷惑だった?
 …コレだ。
 追うと逃げるくせに、逃げると追いかけてくる。
 だからもどかしい。そんなに俺が好きならもう諦めて受け入れろよとやきもきしてしまう。
 男どころか、女ですら見惚れる綺麗な人。そのせいで妬み嫉みは倍増する。敵わない、足元にも及ばないという屈辱を味わわせるから、陰湿な腹癒せを受ける。
 それなのに本人は自覚がなく、在るがままの自然体で生きている。
 思ったことをこうしてぽんぽん出し、意味深な含みがあるのかと思わせておいてその実、裏はない。
 そこにまた煽られるのだ。悋気、羨望、憧憬といった感情が。
 そして……恋情でさえ。

 期待をことごとく裏切られ続けた政宗のジレンマは最高潮。さんざん駆けずり回り、迷子の親も捜してやって、挙句にこの科白だ。
 心身ともに疲れている。そのせいか、プツンとキレるのも今日は早かった。

「……なあ」
「うん?」
「なんで迷子の親を自分で捜そうと思ったんだよ。アンタ、人混みが苦手なんだろ」
「だって…あの子の目、政宗に似ていたから」
「ハァ?」
「…だって、そう感じたんだもの。だから、ひとりにしておけなかったの。泣かせたくない、ほうっておけないって思って、だからあたしは」
「……バカ。もう知らねえぞ」
「なに…、んっ……?」

 ―――なんだその云い分は。
 俺かよ。そこで俺が出てくるのかよ。
 やってられなくなり、政宗はとうとう欲望の赴くままに動いた。なんて可愛いことを。なんて愛しいことを。
 背後から頤を掬い上げ、やや苦しい体勢でキス。だめ、いや、なんてかそけく拒否されるが、もはやそれは抵抗ではない。
 すべらかな舌を絡めとって先を噛むと、びくんと反応した躰から意思が抜けていく。政宗の膝の辺りを掴んだ手だけが緊張し、力んでいる。
 それを握って存分に犯してやった。
 …他の存在にほいほいついていきやがって。こんなおしおきでは物足りない、いっそ最後まで奪ってしまおうか。

 匂い立つ蠱惑の香、雫、音。
 ここでのなにもかもを自分のものにしてしまうのは簡単だ。
 でも。

「…ま、これぐらいで勘弁してやるよ」

 瞳の潤みと首筋の汗を拭ってやり、政宗は居丈高に云い放った。
 色事に慣れていそうな外見だがそうでもない、むしろ正反対の。美貌は真赤だ。おそらく怒鳴ろうとしているのだろうが舌は縺れるばかり、あ、とか、う、しか聞こえてこない。
 そこがまた可愛いのだ。めちゃくちゃにしたくなる。
 いや、はなして、なにしてるの、かってにこんなこと。
 ようやく硬直から抜け出したかと思えばたどたどしく繰る。艶っぽく掠れた咎めの声に、ひょいと上がる政宗の片眉。
 ぷっとふきだし、政宗は、何度告げたかわからないほどの言葉を返してやった。

「I don't free you……come what may」(放さねえよ……なにがあろうと)

 酸素と解放を求めて喘ぐ濡れた紅に興をそそられ、もう一度、窒息寸前の愛撫を施して。
 忍び笑う。
 …ざまァみろ。俺を年下だ子供だと思って甘く見てるからこんな目に遭うんだ。
 放してやれるはずがなかった。強引にでも引き摺って歩いていくともう決めている。
 なぜなら。

「…愛してるぜ、

 だから、自由にしてやらない。束縛を解いてなどやれない。
 今日がいい例だ。離れた結果どうなった?
 ザコに絡まれてひとりぼっち、心細い思いをしたくせに。俺が居ねえとだめなくせに。
 認めちまえよ、俺に惚れてんだってこと。
 いざないに、力の抜けた身をくたりと凭れさせることしかできないの貌が逸れる。
 彼女はもう、完全にむくれていた。

「……まさむねなんてきらい」
「素直じゃねえな、My honey」
「ハニーじゃないもの」
「じゃあなんだよ」
「おかあさん。あんたはあたしの子よ」
「その母親はカワイイ子供にKissされて随分と感じてたじゃねえか、ん?」
「…っ…自意識過剰もいいかげんにしたら?」
「過剰にさせてんのはそっちだろ。…罪作りな人だぜ、まったく」

 細い躰を抱きしめ、耳に直接注ぎ込む。びくびくするからおもしろくて、もっといじめる。
 早く自分のものにしたいと思いもするが、中途半端な今の状態を楽しんでいるのもまた事実。
 甘さを増していく政宗の口説き文句に、はただただ震えるだけ。
 なあ、認めろよ。
 落ちろ。堕ちろ。墜ちちまえ。
 濃厚な蜜と毒を孕む愛言葉。それに溺れまいと必死な想い人を抱き、くすくす笑って。
 の気が変わるように。の意地が蕩けるように。
 愛してる。
 そう、囁き続けた。



 小さな川辺、蛍舞う夏の宵。
 蒼い竜は腕の中の月を愛で続け、宣言通り手放すことはなかった。




* Come what may. *
花天月地−2万HIT記念
The fanfiction is written by syuri.




てなわけでオイラを戦国BASARAにはめてくれた偉大なサイト『花天月地』様のフリー創作を強奪してきました。(告白)
現代忍者年上ヒロインとわんこ(現在半ば狼化)年下政宗との一連の創作はがっちりくうの心を掴んで離しません。
もう本当どうしてくれえる。ドラマCDとか漫画とかかっちゃったじゃないか。(え)。

珠璃(しゅり)様、2万HITおめでとうございます。
そしてフリー創作どうもありがとうございます(平伏)。


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