「……離したくなか」







「じゃあ、お母さん。行って来るねー」

「もう遅いんだから気を付けなさいね」っていうお母さんの声を背中に受けて、あたしはポアロの引き綱とうんち袋とスコップを持つ。

ズボンのポケットに入ってる携帯電話には、落とさないように紐をつけて、と。

玄関の靴箱のところにある大きめの鏡で、いちおうの身だしなみチェックをして「よし、別に変じゃないよね?」ってポアロに聞いてから家を出た。

東京から越して来て数週間たって、ようやく道とかに慣れてきたのが嬉しい。

中学三年での転校は正直、勉強の面でつらい。しかも一学期が半ば終わりかけで、本当にもうすぐ「卒業!」みたい。

だって半年なんか、あっという間だし。

夏休みもあって、あんまり学校にきてる感触がないし。

クラスの皆からもそう言われたし。

すごくつらいのが教科書の進み具合が違ったこと。

逆にあたしがラッキーだったのは、クラスの女の子達とすぐに仲が良くなれたこと。

「この時期に転校なんて思い切ったことすっとね?」って聞かれて、あたしは両手を握って「だってこれを逃すと犬を家の中で飼えなかったから!」て力説したら笑われちゃった。

だけどそれがきっかけになってノートを見せてくれたり、勉強を見てくれたりしてくれるようになって…ようやく皆に追いつけた。

赤点すれすれな数学が、小テストとはいえ人並みの点数になったときは涙が出るくらい嬉しかった。

今度はお友達になったクラスの女の子達と同じ高校に行くためにも、受験勉強頑張んなきゃいけない。

あんまりがり勉になると、お父さんが運動不足を心配するんだけどポアロと一時間近く散歩してるから今の所、その辺は大丈夫。

ポアロをちょっと遅くに散歩するのは、東京にいたときの名残。

夕方散歩すると、他の犬に追いかけられたり変な人についてこられたりすることがあって。

確か城光君に聞かれたから、そう答えると。

「そがなこと言うたら、夜かて危なかぞ」って言ってくれたっけ。

城光くん。

確かフルネームは、城光与志忠くん。

今まで話すことがなかった男の子。

もう『男の子』なんて言っちゃいけないぐらい、体格が大人の人で。

なにかスポーツしてるのかな? って思って。

けれどよく学校を休むから違うのかな? って思ってら。

本当に偶然、ポアロの散歩中にあった彼は、着こなしたジャージに大きな鞄を抱えてた。

少し恐かった(男子の体が大きい子って、ちょっと恐くない?)けど、すごく優しいんだよね。

疲れてるはずなのに、ここのとこ、毎日送ってくれる。

申し訳なくて散歩のコース変えようか?って言うと、かならず「ポアロに俺、会いたかよ」なんて言われると…飼い主としては…嬉しくて…。

最初は知らなかったけど、うちの中学ってサッカー部強いって言うのは本当で。(疑ってごめん、城光くん)

そんなサッカー部のキャプテンで、しかも九州でサッカーの上手な子達だけをそろえるっていう選抜っていうのにも選ばれてて。

そのサッカーの話してるときの彼はすごく楽しそうで。

話を聞いてくれる彼はすごく嬉しそうに笑ってくれて。

あと気がついたのは、彼はわざとゆっくりあたしの歩幅に合わせて歩いてくれてること。

正直、ポアロの散歩の楽しみの一つになっちゃったんだよね。

城光くんは女の子に優しい。

恋愛初心者のあたしにだってわかるよ。たぶん、彼はきっともてるんだろうな…。


なんて思いながら、用を足したポアロの後始末をして、またひたすら歩くと。

あ。

まただ。

あの人。

ここの所、最近よく見かけるようになった男の人。

ポアロもその人のことが恐いのか、早歩きになって通り過ぎようとしてる。

かなりのおじさんなんだけど、いつもあたしがこの道を通りかかるといるおじさん。

一回目が合ったときは、すごく「ぞーっ」て来るような笑い方されて。

それ以来、苦手。

あたしが通り過ぎると小声で何かぶつぶつ言って、それからゆーっくり何メートルか追いかけてくる。

追いかけてくるって言うのは大げさかもしれないけど。

それに別に何をされたっていうわけでもないから城光くんにも言ってはいない。

もう、この道は正直あたしもポアロも早歩き。

走り出して追いかけられても困るし。

…城光くんの言う通り、本当はポアロは強く人間に出たことがないから番犬にはあんまり向かない犬。

犬が好きな人には飛びつくけど、嫌いな人や怖い人には近づかない。

だから、とりあえず逃げる。二人(この場合は一人と一匹?)して。

たぶん、あそこまで行けば城光くんが居てくれるから。

その場所目指して早歩きして、ちらって見ると、おじさんはまだ追いかけてくる。

半分、泣きながらポアロと一緒に早歩きでその場所に行くと、城光くんも今来たんだろう。

あたしの姿見て、手を振ってくれた。

っ」

ポアロが迷わず走った。

あたしは、安心して笑ってしまう自分を止められなくて。

「城光くんっ」

城光君があたしの側に来てくれると、そのおじさんは通り過ぎて行った。

どんな表情かも、何を言っていたのかもわからなかったけど。

あたしは肩の力がすーっと抜けて行って…ポアロは城光君を盾にしてそのおじさんに対して唸りながら睨みつけた。










「どがんしたと?」

とポアロの様子がおかしいことに気がついて与志忠はに聞いた。

「なんでもないよ」

ぎこちなく笑っている自分に、気がついてない彼女にいらつく。

(俺はそがん、頼りなくみられとると?)

足元で自分を盾にして隠れるようにしているポアロの視線を、彼はたどった。

中年の男がゆっくり歩きながら道を曲がっていったのが判る。

「あのおっさんに、なんかされたと?」

そう言うと、ぶんぶんと首を横に振るが、彼女が怯えているのは間違いない。



ちょっときつめにそう呼ぶと、は途端にしゅん、となった。

見るとポアロもまた怒られた表情を浮かべ、耳を寝かせて上目使いで与志忠を見る。

「勘違い、かもしれないし」

「そんでもよか。話してみ?」

「別になにもされてないし」

「…されてからでは遅いばい」

「ぽ、ポアロもいるし」

「ばってん、おってもこん有様では説得力なか」

しばらくと与志忠は黙る。

小さくポアロが甘えた声できゅーん、と鳴いた。

ごめんねー、とその声は聞こえる。

「あの、最近よく途中の道で会うおじさんで、いつもあたしとポアロの散歩の時間に、そこに立ってて…」

ちょっとの間、追いかけられた、だけ。

彼女はそう言うが、彼女とその飼い犬が怯えているのは事実で。

(抱きしめて、そんで「俺がおる」て言いたかね)

うっすらそんなことを与志忠は思う。

けれどそれは出来ない。

まだ彼は自分の想いすら告白できていないのだ。今の時点では。

。女二人じゃやっぱ危なか。……つらいけど、コース変えんね」

きっぱりと彼は言った。

「でも、それじゃ城光くん…ポアロに会えないよ?」

の身の安全のほうが大事ったい」

苦笑いすると、彼女は力をなくしたように見えて期待する。

「寂しか?」

「うん。きっとポアロ、寂しがっちゃうよ」

「…ポアロだけか?」

「え?」

は?」

そう聞くと、夕闇色の中でも判るぐらいにの顔が紅く染まっていって。

(期待してもよかとね)

「…俺も寂しか。ばってん、お前になんかあったら、俺なんするか判らんったい」

そう与志忠が言うと、またの頬が赤くなる。

「っ…大丈夫だよ」

「大丈夫じゃなか」

そう言ってポアロの引き綱を持つ。

そして鞄を背負いなおして、空いた片手をに伸ばした。

「?」

「手ぇ出さんね」

それはつまり、手をつなぐということ? と、判るとはぶんぶんと首を振った。

恥ずかしいし、そういうのは恋人同士か同性の友人同士ならするのはまぁ判る。

けれど。

(城光くんとは、その、なんでもないしっ)

そう思って動かないに、与志忠は黙って彼女の手を取った。

大きな、自分のものではない手の熱さと感触には驚く。

与志忠は何も言わず、そして何も言わさず、とポアロを連れて歩く。

終始黙ってはいるが、自分の手の中にある彼女の手の感触に与志忠は嬉しくてたまらない。

壊れそうで、柔らかくて、守らなくてはと思う。

それでいて、この手を離したくない。一緒にいたい。家に連れて帰りたいという気にもなる。

…まあ、家に連れて帰っても家族の誰かに邪魔されるに決まってるが。

逆には少し照れくさいような、嬉しいような、それでいて彼がどうしてここまでしてくれるか判らなくて混乱していた。

「城光くん?」

「俺がおる。もう怖い思いにはさせんばい」

それだけ言うと、ぎゅっと手を握りなおしてくれる。

(どきどきしてる…)

きっと自分の顔は紅いだろうと思う。

(こんなことされたら、あたし期待しちゃうよ……)

自分の半歩前を歩く与志忠の背中を見ながら、はそう思った。

自分の家がもう少しだけ遠ければいいのに、とも心のどこかで思いながら、自分の手を包む彼の熱さに触れたまま歩いていた。


の家の距離は、二人が想うよりは短く感じられたかもしれない。

「あ、あの…」

与志忠の手の中で、のそれが動く。

「着いたから」

「…ん…」

返事を返し、ポアロの引き綱を彼女に返してくれるが手は握られたままで。

「あの、じょ、じょう、こう、くん?」

「ええか? 明日からの散歩のコースは変えんね?」

「う、うん」

「携帯の番号教えるから。かけてくれれば迎えにいくったいね」

「そ、そこまでしてもらわなくても…」

いいよ、と彼女が言おうとしたとき。

与志忠は少しかがんで彼女の顔を覗き込み。

つないだ手を、自分の頬に当てる。

「っ!」

「……離したくなか」

「城光くん…っ」

なにしてるの? と首をかしげたポアロの前で、与志忠はの反応を見つめた。

「ずーっと繋いでいたか」

「な、何言って」

「できりゃー、俺ん家に連れて帰りたか」

「ばっ馬鹿なこと、言わないでよ」

声がかすれてる。

顔が赤い。

照れている。

「俺な……」

「…」

「俺…」

「…」

お互いの心臓の音が聞こえてしまいそうな、そんな瞬間。

「キャプテンっ! こがいなところでなんばしよっとー!」

ここは公衆の面前ぞーっというわけの判らない叫びが響く。

「バカしょーえいっ!!」

「えっ! やっ! なに?」

見つめ合っていたの視線が離れ、わんわん! とポアロも騒ぎ出す。

「っ」

与志忠は咄嗟にを背中に隠して、突如として現れた選抜のチームメイトの二人を睨みつけた。

功刀一と高山昭栄の二人だ。

「な、なしてお前らここにおると?」

「よっさん、忘れとんか? もう少し行ったとこにうまかラーメンの店ばあるの」

(た、確かに)

店の名前を思い出し、与志忠は顔をしかめた。

確かにある。

しかし、何も今日そこに二人していかなくてもいいではないか、と思ってしまう。

顔が一気に紅くなるのを与志忠は感じた。

まさか見られてるとは思わなかった。

「どっ…どこから見とった?」

九州選抜攻撃型守護神は、胸を張る。

「お前がそのわんこうのリード、女に渡すとこから」

ということは…。

(俺がこれからって思うた時から?)

そんな守護神をバックに、昭栄が慌てながら、そして赤面しながらキャプテンに言う。

「いかんて、キャプテン。こがいなところでチューばしたら、女の子近所で何言われるか判らんとよーっ?! もっと場所ば考えんとーっ!!」

「っ!」

(チューって…キス?)

わん? とポアロが飼い主の顔を覗き込む。

咄嗟には与志忠の手を振りほどいた。

自分の頬に手をやると熱を帯びているのが判る。

確かにさっきの空気は甘かった、ような気がする。

それは恋愛初心者の自分でもわかる。

けれど。

(そ、そのっいきなりキスーーっ?!!)

混乱するに気がつかず、与志忠は思わず言い返す。

「あほ。俺が告白ばせんうちからそがいな真似するかー! これからっちゅう時に邪魔すなーっ!」

その与志忠の声は、表が騒がしいために様子を見に来たの母親が開けた玄関から家中に響き。

「あ、あらあら」

「え?」

思わずの母親と与志忠の目が合う。

「よっさん…場所考えんね」

功刀一の適切な突っ込みが入った。

ここまでくれば、彼女と彼女の家族にまとめて告白したのも同然で。

「じょっ、城光くんのばかっ!」

涙目になりながら、はそう言って母親とポアロを押し込める形で家の中に飛び込む。

恥ずかしくてたまらない彼女が与志忠のことを振り向くことなく、扉は閉まった。

「あ、っ!」

時はすでに遅し。

「さー。ラーメン食い行こかの、よっさん」

ぐいっと鞄の紐を引っ張り、何事もなかったかのように守護神が引っ張った。

「か、カズっ! 放さんねっ!」

「もー今日は諦めんねー」

「俺、まだ携帯教えてなかっ」

「うっうっ。キャプテン、振られてしもうたですとねー」

「まだ振られてもなかっ! それに誰んせい思うとんかっ!」

「俺のせい?」

ポアロそっくりに小首を傾げる昭栄がまた憎らしく思える。

「ラーメン食うて、英気ば養うとよかよ。あ、昭栄のおごりで」

「なしてーーーっ?」

ーーっ」







彼と彼女の仲がこの後どうなったかは……ご想像にお任せしよう。



END?


2002・10・24UP

ヒロイン視点を織り交ぜながらやってみました、よっさん続編。
今回は前回よりも前の状態。つまり、告白のお話です。
中学三年の時の転校って本気でしんどいのよ(実話)。
まあ、ここのヒロインはついていけてるからいいけど。
あとこの御話は「カレイドスコープ」の風深さまに相互リンク記念として押し付けました。
…長いな…(遠い目)。そして報われてないな、よっさん。
そんな君が好き(笑)
…。
こんなよっさんを送りつけて、申し訳ございませんでした。(へこー)


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