「さよなら」
テニス留学が決まって、俺はにそのことを伝えられないままでいた。
いや、伝えようとはしたのだがうまく言葉に言い表せない。
「アメリカに行くんだ」という言葉を口にしてしまえば、きっと俺に対して励ましの言葉をくれると思う。
がんばれと、言ってくれるに違いない。
しかしそれ以上に、俺は彼女の口から聞きたくない言葉を言われてしまう可能性のほうが高い。
だから、というわけではないが、テニス部の連中と竜崎先生には口止めをしてもらった。
大げさにされるのは好きじゃない、といって。
夕暮れに、生徒会の仕事で遅くなった俺は辞書を忘れたことに気がついて教室に急いだ。
普段から忘れ物などしないのに、今の俺はかなり不安定なのかもしれない。
精神的に。
そうこうぐだぐだと考えているうちにもうすぐ出発の日も間近だというのに、まだ俺は言えないでいる。
の事では、俺はとたんに臆病になる。
これ以上、嫌われたくない。
いや、きっと彼女は嫌ってはいないと思うが、俺への気持ち…好き、という気持ちは失ってきはじめているのだと思う。
あの告白以前のように、いや、それ以上に優しい笑みを時折向けてくれるから。
その笑みを貰って、俺は嬉しく思いながらも落胆している自分に気がつく。
そう、もうは俺が傍に行っても逃げない。視線をそらさない。
優しく応対してくれる。
逃げる、というのは半分俺への気持ちがあったからそれを出すのがつらかったから、だと思う。
しかしそれがなくなった、というのはつまり…。
俺はわがままだ。
もう俺を避けることがない、そんな彼女を見て寂しいと感じていて、また俺のことを意識して欲しいと思っている。
そのくせ拒絶されるのが嫌で、俺の方から好きだという気持ちを伝えられない。
「…?」
教室には、が居た。
窓際に立って夕日を眺めているその姿に一瞬、見ほれた。
「…手塚君」
太陽からの光で、彼女の表情は見えない。
「忘れ物?」
「あぁ」
そう返し、目を細める。
彼女の顔が見たかった。
笑って欲しかった。
胸の中に棘がささる、甘い、それでいて痛い【優しい】笑み。
「手塚君、留学するんだってね」
ふいにからそう言われ…息が止まりそうになった。
「…誰から聞いた?」
「……ほんとなんだ」
彼女の声が震えているのが判る。
「竜崎先生に、体育の先生が聞いているのをまた聞きしちゃった。あの先生、大きな声で話し始めるし、盗み聞きってわけじゃないよ」
俺は呆然と突っ立っていた。
何か言おうとするのだが、口の中が乾いて言えない。
「…そ、の、な…。言おうと、したんだ」
俺の言葉は彼女の耳には届かなかったらしい。
「普通、友達っていうなら、そういうこと教えてくれるものじゃない? 出発間近になって、人の話で判るなんてちょっと悲しいね」
「…すまん」
申し訳なさで頭が自然に下がる。
「あやまってほしいわけじゃないんだけど」
「…すまん」
溜息が一つ、彼女からこぼれる。
その音に、俺はあせる。
違う。
別にを軽んじてるわけじゃない!
そう言おうとして、顔を上げた時だった。
「さよなら、手塚君」
今度こそ息が止まり、呆然とその言葉だけが頭の中で繰り返される。
「見送りにはいけないから。行ったとしても手塚君には迷惑だろうから」
そんなことない。
そう言おうとしたのに、言えない。
「だから、今から言っとく」
やめろ。
「」
俺の呼びかけに、はまっすぐ俺を見返した。
俺のあの大好きな笑顔で。
そして少し痛みをくれる【優しい】笑みで。
頑張れという励ましがこもっているのは知っている。
けれど。
「さよなら」
俺が一番、彼女の口から聞きたくなかった言葉を唇がつむいだ。
その後、俺が彼女にどう対応したかまともに覚えていない。
ただのスカートが翻って、教室から出て行くのを俺は見送るしかできなくて。
彼女はそのまま俺の方を振り返りもしなかったのが余計にショックだった。
その背中が悲しくて耐え切れなくて椅子にへたりこんだ。
手が震えていた。
別れの言葉。
聞きたくなかった言葉。
ただの挨拶じゃないのが、漠然と感じられた。
彼女は今この場で俺の、俺への欠片程度は残っていただろう「気持ち」に対しても別れを告げた。
はっきりと。
そう思うとたまらなかった。
その数日後、俺はアメリカへと旅立った。
は、見送りにこれなくて、結局教室のこの言葉が別れになってしまった。
俺はしばらくテニスはともかく、プライベートの方ではルームメイトに迷惑かけどおしになってしまった。
俺の胸の中に大きな喪失感が生まれて、それはなかなか消えなかったからだ。
結局、その喪失感もにメールを書いて、いわゆる「メル友」状態になってまだ自分との『友情』は切られていないのだと知って癒えるのは別の話。
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