猛獣使いは貴女という幸福をつかみたい
(2)
ここ数年以来の胸の閊えが取れたようだ、と僕はうっすらと思う。
皇国水軍軍艦・ウナハマの与えられた部屋で瞼を下ろすと、思い返されるのは終始僕の告白を受けて赤面していた彼女…の様子だった。
ほかになにかすることはないのか、と言われるかもしれないが乗り込んで三日になり、船の中はほとんど見尽くしたし、士官室に行けば行ったで面倒がついて回る。
水軍仕官は身内意識が高い上に口が堅い。
親しくなるまでが面倒なのだ。
海水風呂にも入った。
本でも読もうかと思ったのだが、持っているものが俘虜として過ごした時間に差し出された帝国の本で、それを読んでいるときに誰かにでも見られたらまた何かしら言われることになるだろう。
そうなるとやはり面倒ではあるし、だからと言って千早のところに行くとしても千早がはしゃぎすぎて迷惑をかけてしまう。
かといって寝れるわけでもない。
夜半にどこからか聞こえてくる私的制裁の悲鳴(古参の兵が「気合を入れる」為に新参兵にやる一方的な暴力行為を水軍は黙認している)が気にならないとは言わない。
水軍に入っていたら、自分はどうしただろうという夢想もいやな結果しか頭に浮かばないからその思考を止めると。
そうすると思い返すのはあちらの世界でのの様子。
何度も言うが最初は母か、姉かと思っていたのはたぶん間違いはない。
義姉と同じくしてそう考えていて、正直なところ今の僕の心境としては「母」として義姉を見て、「女」として彼女を見ているのだろうと自己弁護する。
一時期は、その「母」に対して「女」である彼女の姿を投影し、誘われるままに一夜を共にしたがこのことは墓場まで持っていくつもりだ。
義姉にしてもあの一夜のことは忘却の彼方に飛ばしているだろう。
お互いなかったことにしているのだから、そのままでいい。
抱く。
その言葉に僕はいい気分になる。
…貴女を抱いて横になることができれば、すぐに僕は眠ってしまうだろうに。
どうしてこの場にいないのであろう?
いたらすぐに僕は………いや、違うことで眠れなくなる可能性のほうが高いか、と思わず自重する。
好きか嫌いか、といえば迷うことなく彼女は僕のことを「好き」と言ってくれるだろうが、だが「愛してる」となればどうだろう?
にしてみれば、僕は恋愛対象とまではいかない存在かもしれない。
答えを聞くのが恐ろしいと思う反面、どんなことを言われても彼女に対する想いを忘れることはもう不可能だ。
溜息をつく。
僕のこの世界に来ても、は幸福にはなれまい。
科学技術があちらのほうが発達している上に、女性の地位もあちらの方が遥かに高い。
仕事も友人も、ずっと離れて暮らしてはいるようだがご家族もいらっしゃる世界の方が断然いいに決まっている。
しかも今は。
わが国は滅びかけた国だ。
帝国は北領を足がかりに侵攻してくる。
脳裏にユーリア殿下の顔が思い浮かんだ。
彼女には面と向かって容姿のことを罵倒されたな…って…そういえば、僕のどこがかっこいいかに問うのを忘れていたことを思い出した。
もしかしたら貴女は審美眼がおかしいのかもしれない。
…やれやれ、寝ても覚めても僕は貴女のことしか考えていないぞ?
これではいかん。
次に会ったときに僕は彼女にどう接してしまうか判らなくなる。
僕は気分転換の為に上甲板にあがることにした。
(3)
帰還の式典は僕としてはいささか不愉快なまま終わってしまった。
不愉快、というのは語弊があるか。
一番しっくりくるのは、「納得がいかない」かもしれない。
一ヶ月の休暇と路銀を部下達は喜んではいたが、その前に僕たちに情報なりを聞き出せばいいものをなぜかそれを行おうとしない。
とりあえず全ての式典が終了し、部下達と別れるとようやく僕は帽子を脱いで大きく溜息をつく。
僕の後ろには、いつの間にか親友が立っていたが…まぁ、驚かない。
いつだってこの男は、この男なのだ。
親友との語らいを終えてみると、そこには義兄と義姉と、そして幼子(を、抱いた乳母)に新城家のたった一人の家令の姿。
自分の荷物を家令に持ってもらい(勿論、礼を言った)、義兄上の前に立つ。
姿勢を正して敬礼をした。
空気も態度も硬く、それをほぐしたのは姪(義理の)の初姫こと麗子姫だ。
僕は一言、二言、義兄と話すと義姉に視線を向けた。
おや、と思う。
以前よりも、いや、かなりつらくない。
かの人の身代わりにしてしまった罪悪感は多少はあるが。
血のつながりのない義姉は義兄の愛妾であり実質上の正妻だった。
「ただいま戻りました、義姉上」
「怪我をなさったのね」
義姉上の指先が僕の額のそれに触れそうになるのを、僕は無意識に、そしてさりげなく手を取ってとめた。
「たいしたことはありません。転んですりむいたようなもので。もう、なおりました」
…自分自身で驚いている。
義姉の行動を、この僕が、止めさせたのだ!
なぜ、とめた?
そううっすらと思うと、心のどこからか声が聞こえた。
(…にも触れさせていない)
あぁ、そうだ。
そうだとも。
この傷を負ったのはに告白した次の日、真室で受けた投石だ。
(あの人に、触れてほしい場所だ)
そっと撫で、そうして彼女はまた僕の腕の中で涙を見せてくれるかも知れない。
それはとてつもなく甘美な想像で、僕はその想像を一瞬で打ち消した。
迎えに来てくれた義姉と義兄に失礼だ。
そっと手を離すとしがみつかれた。
「気をつけなくては駄目よ」
「はい」
以前の僕ならば、ぞくぞくとなにかこう、戦慄に近い感情を沸かしたに違いない。
「直ちゃん、わかってるの?」
「はい、義姉上」
それがない。
ここにいる彼女は確かに大切な人だが、僕にとってももう『一番』ではない人だ。
「わかっちゃいないわ」
その後は叱られた。
…僕は義姉の言葉に内心、苦笑いを浮かべていた。
まさしく、そのとおりだったからだ。
僕はただしがみついてなく義姉をそっと手を当て返すだけにとどめていた。
以前の僕ならば…、ついこの間までの僕ならば。
わけのわからない破壊衝動に駆られて、義姉を自分のものにしたがるのを顔からも態度からも見えなくしていただろう。
それが、ない。
首だけを動かして、千早を呼ぶ。
初姫が歓声を上げた。
千早が僕に甘える。
これが、僕の故国。
……しっくりこない。
やはり、がこの場所にいないからか。
もしもがこの場所にいて、そうして駒城の家の人と一緒に笑って僕を出迎えてくれたのならば。
また想像するだけで、心から、笑えた。
そうすることによってでしか、もう僕はこの場所を故国として認識することが出来なかった。
ブラウザバックでお戻りください。
漫画最終巻に収まっているお話でした。
水軍云々は、原作小説から。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||