猛獣使いは貴女という幸福をつかみたい
(1)
「愛しています」
そうあたし、に言ってくれたのは、いつの間にかあたしの年齢と背丈を越した、直衛くんだった。
初めて会ったときは本当に幼くて、おねしょもしたし暴れたりもしたけれど段々仲良くなって、あたしはまるで本当に家族が出来たのだと喜んだ。
あたしの家族はてんでばらばらになってしまっていて(思い返すと不愉快になるし、今現在は仲は良好だからいいとしてほしい)、あたしはたった一人で生活していたから時折現れる直衛くんの存在がありがたかった。
寂しさを誤魔化せるからか、と友達に言われたことがある。(突如として現れる子供、ではなく、遠縁の子供を預かったと説明した)
最初はそれだったかもしれない。
あたしが成長していくうちに、やはりというか、当たり前に直衛君も成長していった。
あまり自分のことを話さない子供だったが、だんだんと話をしてくれるようになると血のつながりのない義姉がいることや、親とは死に別れ、とても身分の高い一族に引き取られたということは教えてくれた。
あたしという存在に慣れてきた頃、直衛くんはよく甘えてくれた。
着ている物の類や、言葉の端からどうもあたしたちの世界で言うところの昭和初期あたりの日本に、何かしらファンタジー要素が入った国なのだろうと想像する。
だって猫と一緒に居る、とか言うから品種は何かなぁ、とよく聞いてみたらサーベルタイガーだったし。
龍とかいるとか言ってたし。
それだけであたしにとってはファンタジーだ、うん。
夜中にいきなり首に指を這わせたかと思うと、絞めてこられたときは何してくれてるの?! とか思って見上げると、泣きそうな顔をしていた。
苦しいけれど、でも直衛くんのその悲しみをどうにかしたくて。
…いいや、それは後から考えたことか。
ただ本能的に、あたしは直衛くんの頭を撫でていた。
どうして、とかなんで、とかそのときは考えてなかった。
そのあと、すがり付いて泣かれ…まぁ、その夜から直衛くんの視線…あたしを見る目が微妙に変わったんじゃないか、と思う。
どこをどう、といわれれば困ってしまうけれど。
あぁ、そう言えば一番困ったのは夜は一緒に寝たがることと、それから外に出たときに男の友達連中を威嚇し始めたこと。
…そうでなくても直衛くんが原因で、高校時代に清い仲ではあった恋人に振られてしまっているのだ。
これじゃ恋人ができないなぁ、なんて友達と笑いあったこともある。
動物園に行って、笑って、しばらく来ないなぁ、なんて思っていたら。
いきなり、大人になってやって来た。
ひどく男くさい笑みを浮かべるときもあれば、あたしの手を繋いで離さない子供の時そのままの笑みを浮かべたりもする。
手を引いてくれるその力は強くて、それでいて時々あたしの様子を伺って、怒ってないことを確認したりする。
あとびっくりしたのは煙草を吸うようになって、かなり年季がたっていること。
28歳、と年齢を聞いて納得しつつ「あの子供だった直衛くんが…っ」とふざけて言ったら「えぇ、あの子供は大人になったんですよ」と、ひどく意地の悪い笑みさえ浮かべた。
あたしがスキンシップが大好きだったので、子供の頃の彼であればよく抱きついてはいたけれどもう大人の男性なのだからと最初の「おかえりなさい」のハグとか、買い物から帰るときは手を繋いで帰ったりはしたがそれ以上はしなかった。
「あぁ、もう可愛い〜」とか言って普段、ぎゅーっと抱きしめたりしていたが、もう出来ないじゃない?
けれど、あたしよりも年上になった彼の方が今度はあたしにくっついてきた。
恋人でも夫婦でもないのに、まるで新婚ほやほやの夫婦のような、そんな感じで。
でも、寝るときも子供の頃と同じようにしてくるとは思っても見なかった。
「動くと襲いますよ」なんて言って抱きしめてきて、流石に動けなかったけれど。
でもあたしは知ってる。
本当にあたしが拒絶、というか動いてもきっと直衛くんは襲わない。
けれどあたしは恥ずかしかったが、動かないでそのまま彼の腕の中にいた。
…直衛くんは傷つきやすい。
繊細な子だった。
嫌なことがあったら我慢してしまいがちの子だった。
そう思ったら、動けなかったのだ。
どきどきした。
だって大人の男とこう密着したのは彼が初めてだったから。
次の日になると、彼はいなくなっていて…あたしはほっとしたような、それでいて残念な気持ちになっていることに気がついた。
あたし、もしかして大人の彼にどきどきしてる?
いや、世話した子供の頃のくせが抜けないからいつもと同じようにしてしまって、その対象が大人だと思い出して慌てる、そんな感じ?
女が男を好きになる、いわゆる恋愛感情のどきどきではないとは思う…うん。
そうこうしていたら、またしばらく彼は来なかった。
いや、一度だけ夜中にベットの中であたしの着ていたパジャマを脱がしかけ、胸に舌を這わせた彼の姿を見た気がするけれど、あれは夢だ。
いや、夢とか言ったらそれを願望としてされたいと思っていると思われるだろうが、あれはきっと現実じゃない、と思いたい。
…びっくりして起きたときにはだけていたが、直衛くんはあたしに対してそういうことは、その、あれだ。
しないと思いたいという反面、何か期待していそうな自分に自己嫌悪する。
子供だった少年が、彼女にエッチなご奉仕するために大人になってやってきた?
それなんてエロゲー? とか、ほんとありえなさすぎ。
とりあえず、あの夜のことは意図的に忘れ、まさかナイスミドルなおじ様になってきたらどうしようとか思いつつ、それでもいつものようにお菓子を用意していたら。
やってきた彼の装いは、まさしく戦争中、といわんばかりの姿だった。
汚れきった服に、顔つき。
とっさにお菓子を渡したが、他にも何か役に立てそうな道具を、と探そうとした。
けれど断られた。
死。
直衛くんの死、が簡単に想像できて、心配して心配して、毎晩泣いた。
昼間も友達に「何かあった?」とか「もしかして失恋?」とか聞かれるぐらいの憔悴っぷりだったらしい。
そして。
会えた。
五体満足、どこも怪我をしていない。
そう思って彼の身体にしがみついて、泣いてしまった。
彼は、彼の力で多少なりとも手加減してくれてはいたが、抱きしめ返してくれた。
そして。
…うう、思い返すとすごく恥ずかしいけれど、彼はまるで母猫が子猫のそれを舐めるように、あたしの涙の跡を拭ったのだ。
舌で。
「こういう、ことはその…こ、恋人とかにするものであってですね、直衛くん」
「子供の頃、寝小便を垂れた子供に接吻して泣き止めさせたのはどなたですか」
注意するとそう言われた。
「…心底惚れている女性にして、何か悪いのですか?」
「ほれて…?」
「はい」
「最初は母のように、姉のように、と思っていたのかもしれません。しかし、今の僕は女として貴女を見ています」
「な、なお、え、くん」
逃げようとする彼女の額に唇を寄せる。
「…この前、貴女と夢の中であっていると思い込んで、抱こうとしました」
「あれ、あれはゆ、夢だったかと、お、思って」
「そういう対象として、僕は貴女を見ています」
「っ〜〜〜〜」
恥ずかしい、そこまで考えてくれて嬉しい、けどそれ勘違いじゃない? そんなことなんか言える雰囲気ではなかった。
「…たんなる欲望の捌け口ではなく、僕、直衛は…心底愛する『女』として、貴女を見ています」
そして冒頭の言葉を言われた。
愛してる、なんて生々しい言葉を言われるとは思わなかった。
ましてや大人になって、しっかり足を大地につけて生きているように見えてかっこよくなった、あの人に。(もう、あの子に、なんていえない)
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