俺、南雲慶一郎はいつも流離っていた。
拠り所である「家」を持たず、「幸福」を人生の目標と定めず、俺の居場所はいつだって戦場だった。
こちらの世界でも、そしてちょっとした切欠で召喚されることになった異世界・ソルバニアでも。
その場所が自分の立ち位置だと自覚したわけではない。
正しい居場所にいるのだという自覚を持っていたわけではない。
だが、自然にこうなったので俺はそれを受け入れて、今までずっと生きてきた。
唯一の例外として二人の女性達だけが、血の絆を無くした…いや、最初から持っていなかった俺にとって「家族」を表した。
鬼塚美咲。
鬼塚。
歳の離れた鬼塚家の姉妹は俺という男の幸福の時間そのものだ。
特に俺の後ろをくっついて歩かせていた彼女は、俺にとって男が女に抱く愛情や独占欲を教えてくれた存在だった。
もっとも、当時はそれに気がつかず、悶々とし、彼女を傷つけることしかできなかったが。
もうその場所には11年、帰っていない。
大学時代、彼女達からの葉書にも答えられず、だがそれでも俺の心に居座り続ける年下の彼女のために、誕生日に届くように計算しながら、不器用ながらも何かしら『物』を贈り続けた。
それは大学を卒業し、海外に出てからも続けた。
俺からのプレゼントだとは彼女は思っていないかもしれないが、それだけで俺は満足するようになった。
何年経っても彼女達は俺の中から消えることはなく、今も色鮮やかに俺の心の支えとしている。
日本に帰国し、何の因果かこんな俺が高校教師をやる羽目になったのを切欠に、俺は彼女達の住む場所に戻る決意を固め。
…そうして――。
姉・美咲の死と、その妹・の状況を知り、打ちのめされた。
5月7日
(1)
南雲慶一郎は書類などの細かな作業を済ませ、鬼塚の通院に付き合って病院に来ていた。
病院独特の空気に慶一郎は帰国して初めてこの場所にやって来たことを思い出す。
鬼塚家に連絡を取り、鬼塚鉄斎に叱られつつ顔を出したその場所には姉妹の姿はなかった。
母親のような、姉のような美咲とその夫・克也の死を知らされ、追い討ちをかけるようにその子・美雪の口からのことを聞かされたときは全身から力が抜けきるような錯覚を覚えた。
子供を庇っての交通事故。
頭を強く打ったのか、そのまま意識を取り戻していないという現状。
そう聞いて、思い出すのは近所の子供たちに対してお姉さんぶって、一緒になって遊んでいたの姿だった。
嘘だと思いたい。
美咲の死もそうだ。
彼女たちは今、この場にいないだけでどこかで元気にいてくれているのだと思いたかった。
翌日、身奇麗にするように言われ、鉄斎と美雪の二人に連れられてやって来たのは鉄斎が懇意にしている、歩いて通える近所の病院だった。
慶一郎自身も鬼塚家に身を寄せていた当時は何度か世話になった場所だ。
特別に作られた個室にかけられた患者の名前に歯を食いしばった。
「目を覚まさんのだ」
鉄斎の声をどこか遠くに聞きながら、慶一郎は愕然とその光景を目の当たりにした。
呼吸器をつけられ、電子音が響く冷たい部屋の中でがりがりにやせ細った彼女…鬼塚がベットの上で横たわっていた。
美雪が備え付けの花瓶の花を入れ替える為に、彼よりも先に部屋に入る。
「叔母様、おはようございます」
小さく、そういうのをかろうじて慶一郎の耳は拾っていた。
のろのろと傍に行き、彼女の手をとって体温があることにほっとした。
それだけ彼女の顔には生気がなかった。
長期間の昏睡状態に伴ってか、自力で呼吸できるかも怪しくなり、栄養は全て点滴で補っている彼女。
それは人間としての機能が低下している証拠だった。
別れたときの大人の女に背伸びしてなろうとしていた少女の面影を残してはいるが、その表情は痛々しいまでの冷たさ。
「」
名を呼んでも当然、返事はない。
「、『ただいま』」
瞼を閉じて、手に取った彼女の掌を握りしめてそう呟く。
思えば挨拶に行った鬼塚家でも彼はこの言葉を口にしなかった。
懐かしいとは思った。
郷愁に似た何かを感じた。
けれど鉄斎にすらその言葉を彼は言っていなかった。
「『お帰り』って言えよ…」
返事はなく、浅い呼吸している音だけが耳に届く。
――慶一兄さんは、どうして強くなりたいの?
喧嘩をして、美咲がいないときに彼女が手当てしてくれたときに見上げられて問われたその言葉に彼は答えられなかった。
――貴方は何が欲しくて闘うの?
また別の日、美咲に顔を冷やされながら問われたその言葉にも口をつぐんだ。
(俺が欲しいのもは、本当に、欲しいものは…)
…死を覚悟した戦いのときに思い出したの姿と、今の姿が重なる。
「…」
返事がなく、ただ時間が過ぎていく。
まさに失われていく、その姿がはかなくて思わず彼は涙をこぼした。
「南雲さん、お待たせしました」
慶一郎の思考は過去から浮上する。
あの時の、彼女が今ちゃんと立って、歩いている現実に口許が緩む。
医者さえも「意識回復は神に祈るしかない」と言っていた彼女がここまで回復できたのは、この世界の医療技術の他に慶一郎が以前から召喚されていた異世界・ソルバニアの巫女レイハから譲りうけた薬と、彼自身が使う仙術気功闘法<神威の拳>によって発生する自分の神気<龍気>を彼女に分け与えたからだろう。
その結果、一度目覚めての逢瀬ともいえるあの月光の下での二人の会話で慶一郎は涙し、レイハに感謝した。
二度目に覚醒した彼女が自分たちのことを忘れていたことにはだいぶショックが大きかったが、それでも記憶を蘇らせる為に痛みに耐えている彼女の姿がいじらくし、そしてなおかつ暖かな感情を彼に与えていた。
「診察結果はどうだった?」
「異常なし、です。もう少し家での運動量を増やすようにって。通院の方はこの調子なら二週間に一度で構わないということでした」
上々のその結果に慶一郎は安心したように肩から力を抜く。
低下していた機能はレイハが与えてくれた薬によって癒えていたのだ。
「南雲さんの負担になっても困りますからね、ちゃんと一人でこられるようになりますからご安心を」
おどけながら言うに慶一郎は「別に負担なんかないさ」と答えると、まだ出されている薬の類と診察料金を払いに行く彼女の隣を歩く。
(昔は、いつも後ろにくっつかせて歩かせてた)
今ではちゃんと理解している。
隣で歩くのが気恥ずかしかったのと、どうすればいいか解らなかったのだ。
の支払いを慶一郎が済ませ、はそれに礼を言いつつ、受け取った薬の確認をする。
「優しい旦那様でいいですねぇ」
「えぁ、ちょっ、ちが」
見知らぬ人からの言葉に戸惑うのように小さく笑って、慶一郎は「どうも」とだけ返してを連れて外にでた。
「いちいち訂正してたら、きりがないだろ?」
「だからといって、そのまま頷いてたら駄目じゃないですか。南雲さん。あそこに来るたびに間違えられてますし、そろそろちゃんと否定しなきゃ」
赤面しつつ、早口で言う彼女の様子に「別にいいだろ?」と返すと、ゆったりと歩いて帰る。
「よ、よくないですよ、勘違いされたままでいたらどーすんです?」
「させとけばいいだろ」
耳まで赤い彼女の様子に、くくくと慶一郎は笑う。
病院の看護婦や医師からも、そして通院するたびに会う人間は誰しも慶一郎をの恋人か夫に間違えた。
看護婦の中にはが昏睡状態中に婚約者と別れたことを知っており、「新しい彼と幸せになるのよ」と涙ぐむ者までいる。
気を使われて世話になっている彼女たちに、「いや違うんです!」と面と向かって力説しても「照れなくていいのよ」とすぐさま言われるのだ。
慶一郎がに対する行動は、第三者にそれだけ錯覚させるだけの親密さを含んでいるということだった。
それはけしてが良く言い訳で使う「兄が妹を気遣う様子」ではなく、どう見ても「夫婦」か「恋人」の空気。
「ほら、。手」
はい? と素直に出してしまうにまた笑いながら慶一郎は手を繋ぐ。
「南雲さん…っ」
「また転ばないようにひっぱってやるから」
恥かしがるを他所に、慶一郎はそのまま鬼塚家を目指す。
慶一郎自身、自分が必要以上に彼女に触れていることには自覚していた。
普段の自分なら、こういう感覚で女性に触れることなど生まれて29年経つが、少なくとも物心ついてからはない。
彼女の姉で、その頃「これが初恋だ」と思い込んでいた鬼塚美咲に対しても「こうしたい」とは思ったことさえなかった。
手を繋ぐ。
マッサージなのだと言って神気「龍気」を流し込んで、筋肉を刺激する。
なんだかんだと理由をつけて彼女の身体に触れているのは、今まで離れていた反動もあるのだろうとと慶一郎はうっすらと思った。
彼女たちと別れてから肉体的にも成長し、女を知らないとは言わないが、自分『が』慕う女に男として触れることなど今まで彼はなかった。
女を口説いたことなどなく、欲しいと思ったらすぐに押し倒して来た。
そうして手に入った女達が、自分から離れていこうとすれば、慶一郎はそのまま去らせた。
手を握り、抱きしめ、このままここに居ろと懇願したことなどない。
「さよなら」といわれれば苦く思いながらも「じゃあな」と手を振る、そんな男なのだ。
愛してる、なんて言葉も女に囁いたこともない。
生まれからして間違えてこの世に生まれてきた男だ、と慶一郎は思っている。
そんな男が愛されるとは思っていなかった。
(愛してくれる存在が、こんなに大きくなるとは思ってなかった)
少なくとも別れる前まではは兄として自分を愛してくれていたし、今ももしかしたらそう思ってくれているかもしれない。
だかららしくもなく、の為だけに慶一郎は歩幅をもっとゆっくりにして歩調を彼女に合わせた。
「いいですよ、子供じゃないんだし」
「…振り払ってみれば?」
「言ったな…!」
大の大人が子供のようなやり取り。
(これだけでも充分、楽しいなんてどうかしてる)
まるで中高生の恋愛ごっこじみたそれに、内心苦笑しつつ慶一郎は力を入れて自分の手を振り払おうとしているの手を少し強めに握る。
「あんまり動いたら、すぐに疲れるぞ? 」
「南雲さんが手を離したら、やめます」
「まぁ、俺的にはどっちでもいいんだが…。お前が疲れて倒れこんだら、俺はどっちで運んだほうがいい? 姫抱き or 担ぐ」
「中間のおんぶで御願いします」
「その案は却下されました」
「なんでだ…!」
もうここにはあの冷たく、生気の抜けきった女はいない。
よく笑い、よく泣き、そして元気ながいる。
「じゃあ、俺的に姫抱きで運びます」
「その案は却下されました。意地でも倒れないですからご安心を」
「なんでだ…!」
慶一郎の返しに思わずは笑った。
は気がついていない。
慶一郎は視線に気がついても、それが結果としてどういうことになるかは想像していなかった。
…想像したところで、彼はなんとも思わずそれを受け入れただろうが。
そんなじゃれあいも、どこからどうみても恋人同士のそれにしか見えなくて、それを近所の人間に見られて『既成事実』だけが構築されていることに。
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南雲先生も泣かしましたが…いや、原作でも美咲さんの死を想ってか美雪ちゃんの目の前で泣いてましたからいいか、と。
それと原作では南雲先生、女の人にプレゼントなんぞ一切したことがありません。(結構ひどいよね(苦笑))
生まれてはじめてのプレゼントは美雪ちゃんに対して贈った花ですよ。
あ、ごめん、さん。今回の話で飛鈴さんからの嫉妬フラグこれでたったかもしれない…。
書いてて気がついたよ。(そんなことってたくさんあるよね…(自己弁護))。
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