5月21日
(2)
南雲さんは毎晩トレーニングを欠かさない。
いつもその時間帯は神社の境内で行われてるそれの邪魔にならないようにしているのだけれど、今夜は時間を忘れて熱中されているようなので私はその様子を見に来た。
別にトレーニングのし過ぎで倒れる、とかいうことを心配してるわけではないけれど。
「?」
あ、やばい。
「邪魔しちゃいました?」
「いや、今終わるとこだったから」
そうなんだろうか? 私は格闘家じゃないからよく判らないけれど。
ご本人がそういうのなら、そうなんだろうと思い直して私は持ってきたタオルを手渡す。
汗かいてるかな、と思って。
「ありがとう」
そう言いながら南雲さんはかるく額の汗をぬぐってから、それを首にかけた。
「どういたしまして。お風呂沸きましたから、お先にどうぞ」
「二人が先に入ってもいいのに」
「ちょっと美雪ちゃんといろいろとしていますので」
和裁であれこれ作ってみようという計画は本格的になりつつあるのだ。
どうせならお父さんと南雲さんのもお揃いで作ろう? なんて計画してるが、まだまだ自分たちのを作って自信をつかねば。
「へぇ、何を?」
「内緒」
私がそういうと南雲さんは「ふーん」とか言いながら拗ねた子供のような表情を浮かべた。
「南雲さんだって美雪ちゃんと内緒ごととか作ってるでしょう? お互い様ですよ」
私だって唇を尖らせて、そう言って彼に背を向けた。
たぶん、私と美雪ちゃんとの間ごとの内緒の数のほうがきっと多いだろうがそういうことは口にしない。
「」
後ろからの声に振り向いた。
「はい?」
「ちょっと話さないか?」
ざぁっと風が凪いだ。
「いいですよ。じゃ、中…」
「いや、外で」
そう言うと南雲さんはくいっと本殿前の階段を指した。
「いいですよ」
私が彼のその背中を追いかけるように歩く。
大きな背中だなぁ、と見ていたらふいに、軽い頭痛と一緒に鬼塚としての記憶が蘇った。
――ほら、早く来いよ
私
そう言った彼の背中を追いかけた、まだまだ子供の頃の鬼塚。
あんまり変わってない関係に苦笑してついていくと、隣に座るようにジェスチャーされたのでおとなしく座る。
「で? 改まって話ってなんですか? 南雲さん」
「その…」
なんとなく言いずらそうにしてるので、「?」と思ったが、それならばこちらから話題を振ってみる。
「そうそう携帯電話の買い替えは折半して下さいね? 壊したの南雲さんなんだし」
「え? あぁ、折半にしなくても俺が買うつもりなんだが」
「機種変更の方が新規よりも高いんですよ? 南雲さん、それでなくても食費やら食器やら揃えて貰ってるのに…」
「俺が好きでしてることだし、こう見ても金はあるから気にしなくていい」
え、そうなの?
の知識の中…フィクションでの南雲慶一郎は何よりも【現在】が良ければ【未来】への貯蓄すら考えなかったはずの人…だという認識が有る。
いや、海外に口座持っててそこにボディガードやらのお金を貯めて使ってなさそうにも思えるけれど、確か最初の方は日本円、持っていなくてホームレス状態だったはず…。
いかん、うちにいつまでいてくれるのかは判断つかないけれど、まともに貯蓄させてからお嫁さんに引き渡さないと。
あれ? お嫁さんお金持ちだっけ?
いやいや、とにかく貯蓄のくせはつけとかないとね。
「無駄使いは避けるべきですよ」
「俺にとっては無駄じゃないから、いいじゃないか」
この人も折れないな。
「折半です」
「全壊させたのは俺なんだ。そこはが折れてくれるとこだろう」
「…元々、壊れやすかったんですよ、きっと。あの事故の時にも私、あの電話持ってたはずなんですから」
さらりとそう口にした瞬間だった。
まずい、私今まで事故自体のこと思い出してなかった…!
ざああっと血の気が引く。
いつもの軽めのものじゃない。
「?」
私の様子に南雲さんが慌ててる。
心配掛けたくないから平気な顔しないと…、でもちょっとしゃれにならないぐらいに痛い。
ぎりぎりとした痛みに眉をしかめながら、それを我慢してると肩を抱かれて、引き寄せられた。
――子供――そのお母さんの声。―飛び出せばあの子が助かる。――私を追いかけてきた二人――
鬼塚との過去が混じりあってくる。
「思い出すな」
そうは言われても…。
ぎりぎり、という表現じゃなくて、音で例えれば「ぎじぃいい!!」 という痛み。
なんのこっちゃといわれそうだけれど、痛む本人としてはそんな音が似合いそうな痛みなのだ、今まさに。
「ち、違うこと考えれば止まる、かな?」
明日の朝御飯何にしよう? とか 今度美雪ちゃんの浴衣買いに行きたい、とか口走りながら目を閉じる。
じょじょに痛みが引いてきた。
そうだ生地買いに行かなくちゃ。
どこで買えばいいかな、糸とかも…そう考えていると、すぐ傍に自分じゃない人の呼吸とタオルの感触。
私の頭を抱きかかえるようにされると南雲さんの熱を感じて…うわ、なんだ、この状態! と思ったらぴたりと不思議なことに頭痛が一気に治まっていくのを感じる。
意識が「事故当時の記憶の再生」から、今まさに私を抱きしめている彼・南雲慶一郎に向いたからだろう。
スキンシップは多いほうで、こう言っては何だが南雲さんに抱きかかえられたりすることにはなれてしまったけど、この状態は流石にまずい。
目を見開いて、慌ててしまう。
何このシチュエーション。
人気のない神社の境内で、二人っきりで、しかも肩抱かれて。
傍から見たら恋人同士に見られてしまうじゃないか。
「もう、平気、です」
離れて、座ろう。
速やかに。
「」
すぐ耳元の男の人の声に、またぞくりとした。
「平気か?」
「は、はい。も、もう平気ですからっ」
きっと私の耳も顔も赤い。
思い切って胸板を押すと、ゆっくりと離してくれる。
「?」
「ほんと、痛いの止まりましたからっ。ご心配おかけしましたっ」
「お前…」
手を突っ張って距離を取る私の様子に驚いたけど、南雲さんは何かに思い当たったのか「なるほど」と小さく呟くと顔をそらして肩を震わせた。
何がなるほどですか! 何がおかしいんですか?
えぇ、私は耳、弱いですよ!
もっと離せ! とばかりに抱かれた肩にある手をばしばし叩いたら、小さく苦笑して手を離してくれる。
…この人確か「女の人口説いたことない」とか言うけど素でたらしのはずだ。
「話って、なんですかっ」
まだ顔も耳も赤い私に、南雲さんは「あー」とか言ってから頬を少しかいた。
「いや、美雪ちゃんが飯の時に言ってたろ? その…」
あぁ、あれかな。
「叔母様、身体が治ったら紹介された男の人と結婚しちゃうの?」って言葉。
「さっきも私、美雪ちゃんに言いましたよね? あれは社交辞令なんだーって」
私が目を覚ましてからずっと美雪ちゃんは私にべったりなのだ。
そんな私が居なくなるような話題をしてしまったのは、本当に無神経だった。
すごく反省しました。
「いや、それは聞いたけど、どうしてそういう風な話題になったのか気になって…。お前の友達なら、お前のこと知ってるはずだろう?」
さんとのことかな。
「…んー、知ってるからこその話題なんですがね…」
男の人に全部を話すのっていうのも抵抗がある。
さんから頼まれた人からの電話…二股されてたことから彼ら夫婦の今の状態とか。
そんな彼が私にちょっかいかけてきた理由をこの南雲さんに全部教えるのはどうかと思う。
ちょっと考えてから私は口にした。
「ま、失恋を癒すには新しい恋に墜ちなさいっていう話です」
「それだけか?」
「それだけです」
「本当に?」
「本当に」
即答して、彼から離れるために立ち上がる。
「お話はそれで終わりですかー?」
言外に「もうこの話題はお仕舞にしてくださいよう」というのを含めた。
ざぁ、とまた風が凪ぐ。
「いや、もういっこ」
いつもとは逆で、私が彼をほんの少し見下ろす形だ。
「なんでまだ『南雲さん』なんだ?」
「え?」
「俺のこと、ちゃんと思い出したのにずっと苗字で呼ばれてるから…そろそろ元に戻す…じゃなかった。名前で呼んでくれよ」
私は瞬きを繰り返した。
慶一兄さんって呼べって?
名前でいうなれば、慶一郎さん?
ふいに大学に行くから家を出ると言った、この人との最後の大喧嘩の内容を思い出した。
この思い出には頭痛はない。
この人のことで、思い出した内容で、私にとっては失恋にも似た経験だから。
私たち
家族のこと簡単に捨てて、戻ってきたらなんのお咎めもなしで許されていいのだろうか?
確かに今はものすごくお世話になってるし、許してあげても…いやいや、それはなんか女の子として、ずっとその立場にいた人間としては…。
「忘れちゃったんですか?」
思わずそう言ってしまった。
彼のことを苗字で呼ぶのは、鬼塚として哀しい一言をこの人が言ったのを思い出して、そうしてならばと昔の呼び方でも呼ばなくなった。
家族なら名前で呼ぶのに抵抗はないけれど、そうじゃないって…この人は言ったのだ。
「え?」
「なんか悔しいなぁ。気にして、直した私が馬鹿みたいじゃない」
「?」
「南雲さんが言ったんだから。だから昔の呼び方でも、名前でも呼ばないって決めたんだから」
南雲さんは思い当たらなかったのだろう。
あごに手を当てて「俺か? 俺が何か言ったのか?」と考え出す。
「ヒント、言っときますけど今の南雲さんじゃありませんからね?」
「てことはガキだった頃の俺か」
「思い出して、ごめんなさいって言うまでは南雲さんは南雲さんのままです」
「いや、そう言われても…」
唇を尖らせて、もごもご言い出す南雲さんは本当、子供みたいだ。
けど許してあげれない。
「別にいいじゃないですか。今のままでもなんら問題はないでしょう?」
「それは、そうなんだが…いや、問題はないが…」
眉をハの字にして南雲さんが困ってる。
けれど私としては譲れないのだ。
「叔母様? 慶一郎さん?」
美雪ちゃんが来ちゃった。
「美雪ちゃんだ。ほら、南雲さん」
お話があっても今夜はこれでお仕舞にしましょう。
「あぁ」
まだ思い出そうとしてタオルを片手で持ちながら南雲さんは立ち上がる。
途端にいつものように私が見下ろされる格好になった。
「じゃあ、名前で呼ばれるのは当分お預けなのか…?」
「思い出して、南雲さんが反省して、ちゃんと謝ったら考えます」
言うとは言わないずるい私。
――俺に構うな! 触るな!
――俺はお前なんか『妹』なんて思ってねぇ! 家族じゃない! 『兄さん』なんて呼ぶな!!
ずっとお兄ちゃんだと思ってた人から言われて、哀しくて胸が痛かった言葉。
名前で呼ぶのは少し抵抗もあるし…兄さん呼びならできるけれど、私に言ったことを忘れられてるのショックだ。
まぁ、南雲さんにとっては些細なことなのだろうけれど、鬼塚にとってはものすごくショックだ。
なので言った。
「謝らない限り、絶対呼ばないんだから」
ぷい、と子供のように私は南雲さんから顔を背けて、こちらに歩いてきた美雪ちゃんを抱きしめた。
なので南雲さんがどんな表情で私たちを見ていたのかは、知らない。
ブラウザバックでお戻りください
この日は原作小説で2巻目、南雲さんがマフィアのボスの復活を知った日でもあり、鬼塚美雪に愛の告白(?)をした日でした。
早々にくっつけるなら、この日なんですけどね恋人同士にするの。
でも、花嫁編とかあるだろうから今日やったらそれネタ的に使えないジャン、と却下。
さんにとっては家族でおにいちゃんなのに、そうじゃないって怒られたことがショックで…なので意地でも家族として彼が認めて、自分を妹扱いしない限りは呼ばないのだと思ってます。
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