名前。
それはその個人をあらわす存在だ。
人が生まれたときに一番最初に家族に与えられる、目に見えて判る贈り物なのだと彼女が言ったときにそれは俺の中で『特別』になった。
たとえ生まれからして間違えている俺でも、誰かから名前と言う贈り物を貰えたのだと思うとほんの少しだが暖かい気持ちになれたからだ。
俺が今現在不満なのは、その名で彼女に呼ばれないことだ。
5月某日
(1)
(があれだけ言うということは、俺が確実に怒らせたか泣かせたときに何か言ったんだろうな)
そう思いながら目は英語のテストの答案用紙を走り、持っていた赤ペンはきちんと採点している。
慶一郎は点数をでかでかと書いて次の答案用紙を手にしながらも、懸命に過去の自分の行状を思い返しているが、この数日間、ずっと思い出してはいたのだがあまり成果は芳しくはない。
正直な話、慶一郎には心当たりが多すぎた。
慶一郎にしてはほんの少しのことでも、は傷ついて泣くことが多かったのだ。
精一杯記憶の引出しをこじ開けて、思い浮かべる。
まるで子犬のように自分の後を歩く。
他人の痛みを、まるで自分のことのように受け止めて泣く。
傷ついて部屋から出てこなくなったときもあって、そのたびに慶一郎はその様子を伺うためにあの扉の脇に座り、ノックを繰り返して顔を出させたときもあった。
最後の最後、自分が大学に合格して鬼塚家を出るときのあの泣き顔…。
そこでペンを持つ指が止まる。
(あのときか? あのとき、なんて言ったっけ?)
ぼろぼろと泣くに動揺して、酷い言葉を言った気はするがその細部はいまだに思い出せない。
「謝らない限り、絶対呼ばないんだから」という数日前の彼女の言葉を思い出して、きゅっと赤ペンを走らせる。
(参った。昔の呼び方でもいいから呼ばせたいとか、俺もかなりの重症だ)
兄と呼ばれることは避けたいと思っているのに、そちらでも構わなくなってきている自分に内心、呆れる。
「南雲さん」と彼女は慶一郎のことを呼ぶ。
自分を鬼塚家の家族扱いをしているのに、どこか一線を引いて自分からわざと遠ざかっているのを慶一郎は確かに感じていた。
だから、というのもあるが名前で呼んでもらえばその一線が消えはしないが、少なくとももっと近しい存在になれるような気がする。
慶一郎は女を口説いたことがない。少なくとも本人はそう思っていた。
押し倒せばその場の雰囲気と感情で女は抱けたが、甘い囁きなどしたことすらないのでどう言葉を重ねればいいかわからない。
だから態度に出してはいるのだが、そうすると気がついたらはおどおどしながら逃げ腰になるのだ。
(俺のことが嫌いってわけじゃない)
答案用紙を睨みつける。
字が汚く、判別できない。
目を細めてなんとか解読しながら作業に没頭するが、脳内はのことを考えていた。
男として見られていないというわけでもなく、蛇蝎の如く嫌われているわけでもないのは解る。
ただ恋愛関係には陥らないように気をつけられているのを、慶一郎は気がついていた。
(俺とそういう関係になってはいけない、と思ってるのか?)
過去の恋愛で傷ついているとは思うが、友達から「失恋を癒すなら新しい恋に堕ちろ」と言われたのだと彼女は笑っていた。
あの笑みに暗い感情は見えなかった。
(堕ちるのなら…他の誰彼ではなくて…)
かろうじて読めた単語に丸をつけて、次の答案用紙を用意する。
(まだ、あいつのことが好き? いや…それはたぶん、ない)
が自分に言わない元婚約者の行動を、実は慶一郎は把握しきっている。
自分をいまだに「ナグモン」と呼ぶあの宅配業者を捕まえて、知っていそうな人間を呼び出して(またその人間も昔馴染みだった)教えてもらっていた。
(とりあえず、様子見か…)とそう思いながらも、やはりあまりに度が過ぎた行動に今後移った場合は、や鉄斎がなんと言おうと物理的に排除しようと彼は密かにそう思った。
男の感情は途中までは理解できる。
傍に簡単に抱ける女がいればそっちに感情は流されるだろう。
その女と家庭を築いているのならば、そのままそうして生きていけばいい。
なのに、すがりつくようにに声をかけて簡単に愛という言葉を吐く。
があんなに泣きながら、耐えて、我慢して、そうしてようやく諦めたというのに。
(……嫉妬だな、こりゃ)
冷静に自分を分析して慶一郎は全ての答案用紙の採点を終了させた。
の反応からして、その年齢にしては男慣れしていないのは判ってはいるが、それでもキス以上の行為はが許してる相手。
かつて愛した相手。
そう考えた瞬間、殺意が芽生える。
中学時代のが、無防備に縁側で寝ていたあのときの光景。
成長し、自分に対して恥ずかしながらも医療行為だからと考えて、身体を触れることを許してくれる現在の。
記憶の混乱で頭痛を我慢して、自分の腕の中で目を閉じて痛みに耐えている彼女を、自分以外が愛する対象として、そして自分よりも先に彼女にそういう意味で触れていた過去が腹立だしいことこの上なかった。
がいるのにも関わらず、他の女に手を出した。
どんな理由があろうとも、どろどろとした嫁姑問題を引き起こしたドラマのような家庭にしてしまっているのもそいつが悪くては関係ないのに、なのに彼女を自分のものにしようとしているのが気に入らない。
普段の彼ならば、もうその時点で排除対象として動くのに充分なのだが…。
自分の殺意に軽く反応している教師陣が多いのを思い出すと、慶一郎はその殺意を引っ込めた。
(…の友達が動いてるからなぁ。…あ)
「おや、南雲先生?」
「ちょっと出ますので、授業のほうはよろしくお願いします」
Tシャツの下にある、異界ソルバニアの巫女・レイハから貰ったペンダントが光り始めていたのを確認したのだ。
それは召喚を意味していた。
その数時間後、南雲慶一郎は男子トイレで頭から血を流した状態で発見された。
……それが大門高校至上、類を見ない未曾有の大災害…「伝説の大番長 K17襲来」の幕開けであったことなど、誰が想像つくであろうか……。
「いったいいつまで奇天烈なことやってるんですか!」
授業も関係なく呼び出された涼子は机を叩く。
「だいたい、南雲先生が記憶喪失になったぐらいでどうしてあたしまでが呼び出されなきゃならないんです!?」
「うむ…事故の真相などこの際どうでもいい。問題は彼の状態だ。なにしろ、彼の精神は今、17歳なのだからな!」
校長室で教諭二人と大作、そして涼子の前で藤堂校長は手元にあったパイプを落ち着かない様子で弄んだ。
目を覚ました南雲慶一郎は自分は教師ではなく生徒で、17歳であると保険医に答えた。
それを聞いた校長は、なりふり構わず校内放送で呼びかけたのだ。
「全校生徒及び教師諸君に警告する!」と。
そうして彼の危険性をその場にいる人間に訴えたのである。
かつて大門高校に君臨した伝説の番長…といっても君臨すれども統治せずのタイプだった彼は当時はいつも不機嫌で、気に入らない相手は誰であろうとぶん殴っていた。
それも何も言わずに殴りつけ、相手の口から「ごめんなさい」の一言が聞けるまで殴り続けるという乱暴なものだ。
ただ理由もなく殴っていたわけではない。
殴られた相手は裏で何らかの悪事を働いていたので彼の別名は「大門高のパニッシャー」と呼ばれていた。
問題なのはその性質のまま、ということだ。
17歳当時の慶一郎ならば暴走族一つ程度をせいぜい潰すぐらいだが、現在は29歳の戦闘能力を持つ彼である。
その彼が手当たり次第に暴れるようになったら…!!
「たっ大変なことになりますよ! 見た目は人間でも中身は怪獣と同じなんですから! いったいどうするんです?!」
「当時の彼は一部の小学生達からは文字通り、怪獣ナグモンと呼ばれていたようだがね? まさしく今の状態は帰ってきた大怪獣だよ…!!」
大作の言葉に校長はいくつかのプランを述べて、それを実行に移そうとはした。
だが、それよりも早く慶一郎は彼らの思案をあざ笑うかのように彼らが一番の戦力であるだろう人間を、自分の教室で一番最初に潰した。
「こら南雲ォ! 勝手に人の机占領しやがって…何様のつもりや!!」
慶一郎は横目でちらりと彼を見ると目にもとまらぬ速さで右手を伸ばして、胸倉を掴むと引き寄せる。
普段の大人の彼のものとは思えない、獰猛な野獣の眼光が射抜く。
アイアンメイデン
「てめぇ…『鋼鉄の処女』は好きか?」
「へ? なん…」
何のことか聞こうとした彼は、そのまま慶一郎の腕一本で高々と持ち上げられた。
…草g静馬、ここで撃沈。
その後、校長のプランによって各格闘サークルたちが慶一郎を学校から出さないように襲撃するが獰猛な彼を止めることは出来なかった。
唯一できたことは大作の案によってラブレター作戦と銘打ち、涼子の親友である結城ひとみの手から渡されたそれを慶一郎に持たせたことだ。
その中には発信機が取り付けられていた。
校長は発信機の取り付けに成功したことを確認すると、監視部隊に命令を出して充分な距離をとって彼を追跡させる。
「これでひとます校内の脅威は去ったが彼をこのままにしておくことはいかん。連れ戻して、治療を受けてもらわねば」
「そうは言っても力ずくじゃ通用しないし…高校時代の南雲先生には何か弱点みたいなものがなかったんですか?」
「弱点…? あぁ、そうか! 彼女がいたな!!」
校長は自分の携帯電話を取り出すと、操作し始める。
「手のつけられない不良の彼が、苦手とする人物がいた。鬼塚美咲という女性と、彼女の妹のさんだ。あいにくと一番、言うことを聞くだろう美咲さんは四年前に亡くなってはいるが…さんならば!」
「それ個人の番号ですか、先生」
「そうだが、何かね」
「さんの携帯、南雲先生がこの間壊していましたから、繋がりませんよ」
ガッテム!!
校長は思わずそういいながら、鬼塚家に電話をかける。
誰もいないのか、それには誰もでなかった。
「おかしいわね…お師匠様がいたら出てくださるのに」
「それにさんも、一人で出歩くことはないはずですよね?」
「えぇい! 二人とも、草gくんと合流してさんをつれてきてくれたまえ!」
「南雲先生の弱点なんですか? その当時から」
「…弱点、といえば弱点だろう。頭が上がらない人間が美咲さんならば、彼が己の力でずっと保護していたのはさんだけだ」
「保護…?」
「さんは何も彼に対して何をしてくれとか言わない人物だったがね、彼が自分から率先して動いて彼女の周囲にあった危険な人物達を彼が一人残らず潰していたのだよ」
それは慶一郎に対しての人質に使おうという集団も勿論あったが、全て情け容赦もなく返り討ちにしていたし、その気がなくなるまで殴り続ける徹底振りだったと校長は呟く。
「今はどうなんだね? さんも彼が来てから意識不明から復活されたんだろう?」
校長の問いに大作が答えた。
「恋人かと思ってましたが違うんですかね」
「さぁね。彼にそのあたりのことは聞いてはおらんよ。そうだとしたら、なおさら結構。さぁ…!」
校長に促され、二人は屑鉄製の蓑虫としか表現できないロッカーの成れの果てから救出された包帯男…静馬と共に鬼塚家に走ることになった。
そこで三人は、ほんの少し…写真と言う媒体の中からと慶一郎の過去を垣間見るのである。
ブラウザバックでお戻りください
原作小説3巻目に入りました。
この南雲さんは美雪ちゃんにも愛の告白(?)はしてない状態です(苦笑)。
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