七夕祭りが近づいてくる。

伝統的な風習とあまり縁の無かった少年時代の俺に、短冊を渡していつも願い事を聞いてきたのは、美咲さんかだった。

それらに自分がどんな願い事を書いたのかは覚えていない。

簡単に言葉に出来る願いなんて、本当の願いじゃないと思っていた。

俺の願いはその頃からついこの間まで変わらなかった。

自分を不愉快に思わせるものから逃げ出して、もっとましな場所へ行くこと。

誰にも傷つけられない強さを、何があっても動じない強い心を持つこと。

どうしようもない不安を取り除くこと。

心から安らげる場所を、楽園を見つけ出すこと。

つくづく都合のいい話だが、よく考えて振り返ってみれば俺は己が傷つくことがいやで、最初からその場所から逃げ出していたともいえる。

というこの『楽園』から。

だが、人間という生き物はそういった願いが叶えば必ず、次の願いが生まれ、そして延々とそれを抱えて生きる存在であるように、俺の願いも当然新たに生まれる。

今年からの俺の願いは―――。



7月3日
(1)



鬼塚美雪の登校の邪魔になるであろう存在を、文字通りに物理的に排除した慶一郎は高校教師の座に戻っていた。

簡単に詳細を端折って言ってしまえば、慶一郎の中学当時の担任であった教師から「乱暴さにおいては以前の貴方に及びませんが性格の悪どさでは超える」と称された、毒舌風紀委員にして自警団<ブラインド・シティ・ガーディアン>の最年少メンバー・泉谷万騎と共に聖職者とも思えない行動を起こした一教師を追い詰め、さらに彼を全治6ヶ月の長期療養に追い込んだ彼は、自分が中学にいられる最終日には万騎が調べ上げた閻魔帳とも呼べる報告書を片手に、後輩を引き連れ、四葉中をバイオレンスの嵐に放り込んだのだ。

そのおかげで四葉中の数人の教師は重傷を負って病院のベットで過ごさなければならなくなり、授業に若干の遅れを出してしまうが、生徒達、特に美雪の健全な精神を保つためには必要な措置であったと慶一郎は思っている。

また、寝ぼけていてまともに見ていなかったと、藤堂校長からの要請で高校教師に戻る初日にスーツを着て本人なりの『人畜無害の普通の教師』の姿をきちんと披露したが、からは「逆に威圧感ありすぎて怖い先生に見える」という感想を貰い、教室では生徒達の遠慮の無い大爆笑にさらされたのが記憶に新しい。

彼にとっての『一般な高校教師』のその姿…筋肉隆々たる肉体を無理やりスーツに押し込め、短い髪は七三に分け、フレームの太い眼鏡をかけているが、ハイキックを食らってもびくともしなさそうな太い首に支えられたその顔には冗談のように不似合い…は、普段の彼を良く知る生徒達にとってはどうから見ても冗談のような酷い『教師のコスプレ』に見えるのだ。

その姿は三者面談まで封印されることになり、今はもう普段着のままの慶一郎で通している。

の提案によって先に考えておいた応用問題やら過去の問題のデータから抜き出して、期末テスト用の問題もすでに作成し、慶一郎は藤堂校長が何か言う前に着実に自分に課せられたノルマを達成しつつあった。

よく脱線していた授業の方も、のアドバイスによって「授業中は5分間」だけ脱線し、残りの時間は教科書を進めた。

ソルバニアからの召喚される際には、作り置きしておいた小テストや黒板に長文を書いて辞書を使ってもいいから訳をさせ、ノートに同じ文法を使った長文を作成しろという課題を出すことにして準備もしてある。

「教えられるんじゃなくて、自分で調べるってことも大事だと思いますよ」とが言っていたのを慶一郎は覚えていた。

また校長たちに言って自分の授業に食い込むような時間帯に、ミアン…マフィアがつけた慶一郎のマネージャーで、彼女が彼に対しての刺客を連れてくる…が来た場合は授業を終わらせてから闘うように交渉するように要請もした。

授業の遅れもあるが、一応慶一郎が静馬を鍛えるためにアクションをし始めたことを大作経由で情報を入手した校長はそれに頷いてくれた。

こうして先手を打つことによって仕事のほうも不安はなく、美雪の問題にも一段落ついた彼の心配事といえばのことだ。

「烈一族襲撃事件」時の肉体疲労も充分に回復し、以前よりも多少長い距離を歩けるようになったし、記憶の蘇りに伴う頭痛も、激しい痛みを伴うようなキーワード…たとえばそれは事故の当日のことなど…を思っていない為に今のところはないようなのでそのあたりに不安は無い。

慶一郎が不安なのは。相変わらず彼女の食の線は細いままだということだった。

<神威の拳>を使用した場合、慶一郎の食欲は倍以上になる。

彼女も慶一郎が手ほどきし、<神威の拳>の神気の放出をできるようになっており、慶一郎がその膝にのせてじゃれあえば、少なくとも慶一郎の精神と肉体の疲れを癒してくれているので、彼女がそれを使っているのは間違いない。

なのに彼女の食欲はいつもと一緒だ。

慶一郎が信じられないぐらいの小食で肉体を維持し続けているのだ。

そうでなくても身体の肉付きも良くなってその身体を維持するにはもう少し食べてもよさそうなのに、彼女は美雪の食べる量よりも少ない。

「ダイエットか?」

「してませんけど?」

私太りました? と悲しそうに逆に聞き返されたので慌てて否定した。

胸が少し大きくなった気もするが、それ以外は別に以前と同じままのはずだ。

それ以外には元婚約者の動向もある。

はその男を男として伴侶として、愛するということは決してないことを慶一郎は理解している。

自分の愛情の全てがに注がれているのと同じく、の愛情は自分に向けられている。

その間に入れる他人はいない。

入らせる隙を与えるつもりも無い。

だが、を変わらず煩わせる存在で、その人間を炊き付けた愚か者がいることを慶一郎は把握していた。

結婚の報告葉書を握り締めて祝福をしてくれたその後、さらりと聞いてきた慶一郎に彼は言い辛そうに、だがちゃんと教えてくれた。

「後で知らされたら絶対怒るだろ、ナグモン」

「まぁな」

「…俺らも動いてっから、ナグモンは手ぇ出すなよ!」

後藤さん家の紅男はそう慶一郎に釘を刺してくるのを忘れなかった。

彼らは慶一郎の高校時代をよく知る人間なので心配しているのだ。

彼の妻になったが苦労するかもしれないということと、慶一郎が仮に応対した場合による元婚約者の安否のほうを。

とりあえずその言葉に慶一郎は頷いて、安心させて経過を教えろと伝えたものだ。

(いざとなったらやはり物理的排除して、には黙っとくよう紅男経由で情報操作すればいいか)

そう思いながら買い物袋を持ち直す。

池袋サンシャインシティの専門店街まで食材の買出しに来ていたのだ。

(また「美味し」と言わせてみせるし、ちょっと変えてみれば食も進むかもしれん。あ、いや一緒に作って合間合間に食べさせるのもいいか)

袋の中には輸入物のハムやチーズが詰まっている。

すぐ隣には静馬がつい先日、同じく<神威の拳>を使う京極刹羅率いるチーム<ナイツ・オブ・ゴールド>と激闘を繰り広げた公園があり、その先の駐車場に止めてあるジープに向かう途中、その公園の前を通りかかると、不意に断末魔のヒキガエルのような悲鳴が聞こえてきた。

「へぎゅうっ!」

人の争う物音に引き寄せられるようにして公園に足を踏み入れた慶一郎が目にしたのは、バイパーズらしい三人の少年に囲まれている、赤いアロハシャツに半ズボン姿の小柄の老人の姿。

「!?」

慶一郎は異状を察して眉間にしわを寄せた。

老人が囲まれていると見えたのは誤りだと気がついたのだ。
                 
はし
その老人が赤い残像を引いて疾ると、次の瞬間、一人が磁針をまわすようにぐるっと180度回転して倒立し、逆落としに地面に叩きつけられる。強烈な足払いを食らったのだと理解するまもなく、残り二人もまさかに「目にも留まらぬ」速さで投げ飛ばされ、くぐもった悲鳴と共に長々と地面に伸びた。

「…ったく、歯応えってもんがねぇぜ。最近の若いのは弱っちくていけねぇ」

一人につき二秒もかかっていない、まさしく瞬殺。

よくよく見れば赤いアロハのその老人の足元には似たり寄ったりな少年達が、うめき声を上げながら大の字に寝転がっていた。
   B     C     G
<ブラインド・シティ・ガーディアン>達が気がついて取り囲んだが、それでも嬉しそうに老人は口元を綻ばせるだけだ。

その笑みの種類を慶一郎は知っていた。

(古流柔術の流れを汲む総合格闘術か…)

「おい、逃げたほうがいいぞ」

慶一郎の呼びかけにBCGの青年は慶一郎を見、そして老人を見、最後に仲間に目を向けた。

老人がまとう殺気に気がついている顔つきで、リーダーのような人物と手話でサインし、やがて頷く。

「退却!」

慶一郎と老人は知る由も無かったが、10人そろっていたBCGのメンバーがたった一人を相手に退却したのは、後にも先にもこの一度きりである。

「…賢明な判断だ」

その逃げっぷりに感心している間に、その老人は足元に転がっている青年達を下駄で踏み越えながら慶一郎に近づいた。

「よう、おっきな兄ちゃん。こいつの居所をしらねぇか?」

鼻先につきつけられたその写真を見ながら、慶一郎は聞き返した。

「この子とはどういった関係で?」

「俺の孫だ」

写真には美雪の親友…姫川沙羅が写っており、慶一郎の問いにニコリともせずに即答した老人の名は姫川雷蔵。




まさかその老人が、義理の父親である鬼塚鉄斎の腐れ縁的な存在だったとは、このとき慶一郎はまったく知らなかったのだが後にしみじみと妻に語る。

「…類は友を呼ぶとはよく言ったものだ…」と。


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ようやく5巻目。
三凶の一人の登場です。


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