闇の住人 (前編)




一真が転校してからさらに二週間経った。

それでも一真はあの夢を見続けていた。


血塗れになる父母。

そして何もできなかった自分。

哄笑する男とも、女とも取れる生き物。

その膝元にうずくまる、なにやら奇怪な生き物たち。




夜中に何度うなされて起きたか判らない。

しかし、兄として家族として接してくれる一つ上の気難しい友達を心配させたくはない。


(どんなに洗おうとしても、この血はきっと消えないんだ)

今は見えないけれど、この両手は赤く染まっているのだ。

助けられなかった母の。

そして死んでいった父の。

(お父さんとお母さんの血は、けして消えたりしない)

一真の目はべっとりと血ついた己の手を、正確に覚えている。

(僕は忘れない。父さんと母さんを助けられなかったことを)

第三者から見れば何を傲慢な、と憤りを受けるかもしれない。

だが一真は真剣だった。

あのとき母の言うとおりに、逃げていれば彼を庇って母が死ぬことはなかったのだ。

頑なに一真はそう信じている。

彼は己の手を見つめた。

いつの間にか彼の目には血が滴っているように思えだした。

だからこの手で誰かに触れたり、または食事をしたりすることを嫌いだした。

自分を責めてはいけない。

そうすることで、自分を助けた父母の気持ち…『生きろ』という気持ちを消してはならない。

そう義理の祖父はさとしてくれたが、頭でわかっていても感情はどうにもならない。

少年のその思考は、普段、昼間他の人間たちに見せる表情とは裏腹に深く深く闇に沈み込む。

そう思わせているのが父母を殺したモノが放った邪気であることにも、

その負の感情が闇を好み、食らう生き物たちに格好の呼び水になっていることに、彼は気がつきはしない。





「おはようございます」

一真のかそぼい声に、一瞬だけ国一は眉を寄せる。

それはどことなく孫の国光が最近するようになった表情に似ていた。

ああ、おはよう。と、そう言ってから国一は慌てて付けたした。

「一真、朝飯をちゃんと食べろ」

「はい」

こくん、と頷く一真の目の下はくぼみ、顔は青白い。

あえて義理の祖父がこういわないと一真は食卓につかない。

日に日にこの幼い少年の様子が悪くなっている様子に、養母となった彩菜は心の中で溜息をついた。

きちんと返事を返しているが、一真の食は細いままだ。

彼を引き取ったときよりも身体が細くなったのではないか、と彼女は思う。

「一真ちゃん、今日のお味噌汁は一真ちゃんの大好きな卵のお味噌汁よ」

そう声をかけると、ふわり、と微笑む。

彼女の親友であり、一真の実母に良く似た笑みだ。

「僕、手伝うよ」

「あ、じゃあ。ご飯よそってもらおうかしら?」

「はい」

普段ならば、『男子厨房に入らず』。

そういう時代に生きた国一から難色を示されるが今の一真に関してプラスになることならば彼はなんでも受け入れていた。

食事に参加しなくなってきつつある一真を食卓に向かわせるためには、台所に触れあわせることが一番だと国一は考えたからだ。

「おはようございます」

国光と彼の父がリビングに来たときには、すでに食事の支度は整っていた。

「おはよう、国光兄ちゃん」

一真の声に国光は彼にしては柔和な笑みを見せる。

「おはよう」

(良かった…ちゃんと一真はここに居る)

国光は自分の席に着いた。

食卓にいる義弟の姿に国光は内心安堵の溜息をつく。

味噌汁のいい匂いが、食欲を誘う。

そうこうしているうちに父の国晴がどたどたとやって来た。

「これ、ちゃんとせんか」

「すみません、お父さん」

そう言いながら、父も席に着いた。

「さ、一真。いただこう」

にこやかに笑いかけた父の声に、びくっと一真は一瞬だけひるむ。

それに気がつかないふりをして、彩菜は優しく肩を抱いて。

「大丈夫よ」

そう小さく笑いかける。

それでようやく、一真は食卓についた。

「いただきます」

かそぼい声が手塚一家の食事の挨拶に重なる。

(僕の、よそったご飯は白い)

彩菜の「大丈夫」という声をたよりに一真は手にご飯を見た。

ここのところ、そうして自分を言い聞かせないと一真はろくに食事もできない有様なのだ。

(せめて彩菜養母さんが、作ってくれた分は食べないと)

そう思い、箸を手に取り、口に持っていく。

かみ締めるたびに、どことなく鉄の味がしてくるようで一真はごくり、と飲み込む。

ふいに誰かに笑われている気がした。

普段の一真ならすぐにでも「誰か笑ってる?」と周囲に聞くか、周りの状況を確かめるがそんな気力はない。

その声はどこかで聞いた事のあるような、笑い声だ。

一真は咀嚼しながら眉を寄せる。

(どこで聞いたっけ…)

食べている味がまったくない。

その様子を心配げに見つめている兄の姿に気が付かないで、一真は比較的ゆっくりと朝食をなんとかすませた。

頭の中に誰かの嘲笑を聞き、それが母を死なせたモノの声とは気づかぬまま。





「一真、元気、ないな」

裕太の声に一真はぎこちなく笑った。

「そうでもないよ」

裕太は心配そうに首をかしげる。

「大丈夫か?」

「大丈夫だよ」

うてば響くようにそう言い返す一真の覇気はない。

裕太や、そしてクラスのいじめっ子は眉をひそめた。

「誰かに苛められたのか?」

そんな言葉に一真は首を横に振った。

「ちゃんと言えよ? 俺が苛め返してやっから」等というありがたくない言葉にも一真は苦笑いをしながらちゃんと「大丈夫」と答える。

さらに「いじめはだめだよ」と力なくも返す。

しかし裕太の眼から見ても一真は大丈夫ではありえなかった。


くくくく…もう少しだ…。
「?!」

誰かの声が聞こえたと思い、裕太は辺りをうかがう。

だが、クラスメートたちの喧騒が聞こえるだけで底冷えのするような声は聞こえてこない。

空耳かと思い、首を振り、裕太はまた友人の心配をしながら席についた。





その頃、【地使い】須賀達也は大きく溜息をつきながら、ビジネスホテルの一室で懸命に、負った傷口に手の平を乗せていた。

昨夜、妖魔の気配を手繰り寄せ、本体と思えし相手と対峙した。

までは良かったのだが。

「くそっ!」

早く治療を終わらせて、一真の側に行きたいのだ。

この場所でぐずぐずしていられない。

昨夜の戦闘で少なからず、相手は傷を負ったのだ。

昼間の行動はいくらか相手に制限がかかるとはいえ、油断はできない。

「その様子では返り討ちといったところか?」

「水無月…」

「流魔でいい。それで?」

学校はどうした? と軽口を叩いて部屋から追い出したい須賀だったが傷口にある痛みのおかげでそれが一歩遅くなった。

その間にいつの間にかやって来た、風使いの主従は部屋に入る。

付き人の少女は話している最中も治療をしている地使いの脇に来ると手をかざす。

暖かい気の流れが、須賀の顔から血の気を戻した。

「で、正体は判ったんだろう?」

流魔の言葉に須賀は口元を歪めた。

昨夜の派手な戦いも彼には手を出させなかった。

付き人にはさりげなく一真自身を守らせ、流魔は戦う須賀の余波で出てくるだろう小物達を違う場所で駆除していたのだ。

「須賀様」

流魔の付き人である草薙弥生がさらに念治療をするべく傷口に触れる。

「…負の力があまりにも強い…」

「少なくともここは俺のテリトリーだ。知る権利はある」

「そうだな」

須賀はかすかに頷く。
                   ひと
「一連の連続殺人の犯人…あの女も、その家族も不幸に陥れたそいつは」

地使いはまっすぐに風使いの少年の眼を見た。

「吸血鬼」

「!!」

弥生の手が止まった。

吸血鬼。

古からの生き物。

負と魔の力を持ってしまった人外の高等生物。

いくつかの下僕を有し、人の生き血の中にある霊力をすすり、自らの力と成す。

「…闇の住人か…っ!」

「ああ」

「それでもあんたは守るんだな? あの子を」

吸血鬼はその長い年月を生きるためか、極めて高レベルの魔術を扱うことができる。

須賀の負った傷はその中の攻撃魔法で負わされたに違いない。

正直に言ってしまえば、須賀の実力でそんな魔物と戦って勝ち目があるかは微妙なところだと流魔は判っていた。

それでなくても、この地使いは連日連夜、生き残りのあの少年を付けねらう眷属たちを浄化し続けているのだ。

使い人の力はいくら精霊たちの力を借りて行使するとっても、本人の中にある霊力、気力も必要である。

仮に数時間休んだところで、そうそうにそれが回復できるわけがない。

しかし、この須賀と言う男の答えは即答だった。

「当然だ」

須賀の唇が弧を描いた。




だが、そんな使い人達もまだ気が付いていない。

その夜の住人に足元はすでに一真の所に来ていたことを。




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