修行、始めます
『麒麟』
中国における聖なる霊獣。
はるかな昔、この称号で呼ばれ、敬われ恐れられ、そして愛されていた男が居た。
全ての精霊たちを行使し、全ての技を操り、その霊力は尽きることなく、人々を妖魔から救った男。
かの男こそが『使い人』の始祖、その人である。
「反対だ」
手塚国光は最後までそう言い、義弟と、そして目の前にいる男の間に入ると男を睨み付けた。
ふん、と面白くなさそうに男は鼻で笑う。
「お前が反対したところで、もう本人が承諾し、決まってしまっていることなんだがな」
ぎゅっ、と男の言葉に国光は眉を寄せる。
中学生ぐらいの年齢の割には大人びた表情を見せる彼の名は水無月流魔といい、自分と義弟、そして友人達を助けてくれた恩人の一人ではある。
「危ないことをさせたくないんだ」
国光の言葉に、彼の後ろに居る義弟は少し俯いた。
流魔の脇に控える少女…草薙弥生も表情に影を落とす。
春先に起こった事件は、国光や手塚家の人々からすれば超常現象にあたるそれの連続だった。
一真の実の父母を殺害した犯人が、『吸血鬼』と呼ばれる妖魔の一種で。
一真の血を求めて使い魔と共に現れたその姿は強烈に脳に焼き付いている。
その吸血鬼も彼を守ろうとする友達…不二兄弟と海堂薫…と、国光の目の前に現れた流魔や弥生、そして須藤達也という大人達の目の前で塵にと還った。
誰あろう、一真と、彼に寄り添うように現れた彼の母親に導かれた一真によって。
手塚家では一真の父たちの幽霊が現れ、侘びと、そして一真が大きな力を秘めていることを伝えると空に消えたのである。
そんな一真の存在を、手塚家では疎んじなかった。
一真の実の父母も彼も、家族として暖かく再度迎え入れたのだ。
彼の友達たちも、彼を異常な目で見なかった。
変わらず良い友達関係で居てくれているし、その不思議な力については周囲にけして吹聴しなかった。
「誰に言っても信じてもらえそうにないしね」とは不二周助の言葉ではあるが。
死んだ後も一真を守ろうとした、その母親達の愛情に感じ入ったからかもしれない。
そしてあれから数日立ったある日、須藤達は手塚家に訪れた。
一真を引き取りたいという、須藤の言葉を国一は断固として断った。
数週間、そんな日が続いた。
それまでは良かったのだ。
「修行?」
「えぇ」
須藤達也は正座をしたまま、目の前の老人を見据えた。
その視線に、内心心地よい緊張を感じながら国一は引くことなく見返す。
警察関係者として、多少は耳にしていた「使い人」…様々な術を使い、人々と自然の間を保つ代行者とこうして相対していることに心の中だけで震えが来る。
恐怖からではない。武者震いという奴だ。
自分の知識からして未知の領域であり、聞くだけで目の当たりにはしていなかった、オカルトとしかいい現せないような術。
そんな力を行使できる人物との会話は、まるで全盛期(今でも若い連中にも負けないが)に道場荒しをしていた頃、あのぴんと張り詰めた空気や冷たい殺気を思い出させる。
一真を引き取るためには自分を殴ってでも、という彼の気迫に、老人もただではやられはせんぞ、という気迫を持って応えた。
気の応酬を繰り返した結果、須藤達也と手塚国一は世代を超えた友人のような、それでいて強敵同士のような、そんな関係になっていたのである。
「一真君のお母さんは…」
幽霊となってまで我が子を導いた女の顔を思い出しながら、達也はこう口にした。
「『影山』と言って、地の術を扱う家系に生まれたんです」
「地の術?」
「えぇ。草や花、大地に根付く精霊たちを従わせる技です…」
「……したが…国光と一真から聞いた話じゃと…」
「…一真君の心に浮かび上がり、彼が行使した技は風。しかも風の中では高位に当たる『霊覇』の技です」
その光景を思い返し、達也は眼を伏せる。
大気に宿りし精霊達よ
風と為りて我に力を与えよ
天使の名のもとに集い
全ての悪しき存在より解き放て!!!
霊 覇 天 盡!!!
正しい言霊。
正しい精霊の操り方。
正しい、自らの霊力の高め方。
それをやってのけた一真。
(誰も…)
そう、誰も彼に一言だってそんなこと教えてさえもいないのに。
彼の母親が導いたといっても、彼の母は「地」使いだ。
なぜ、「風」の際上級クラスの浄化の術が教えられるだろうか?
「ほぉ」
「一真君は今まで使い人が何たるかもしらなかった。血筋でもないのに精霊たちを操り、風の技を行使した」
「一真の才能か?」
「才能の一言では片付けられません」
強い達也の口調に国一は彼を見つめる。
「精霊達が、一真君の言葉に力を感じ、それを行使しようとしているのです」
「ほぉ…それは…一真にとっては悪いことのようだな」
「精霊たちは、彼の言葉を待っている」
国一を見ずに、達也の視線は手塚家の庭に向けられた。
「一真君が何気なく発したその言葉にも反応を示せば…、一真君には思いもよらない結果を招く可能性もあります」
国一も庭に目をやった。
(先生)
教え子である、一真の父親の言葉が思い出される。
(あの子は神様から強い力をもらったみたいです…)
実の子ではないが、それ以上の愛情を持って一真を育てていた彼は気にしていた。
一真の行く末を。
彼の危機を救おうとした妻と。
彼のことを頼みに来た夫。
「…力に振り回されるのではなく、力を正しく行使する実力を付けさせるというわけか」
「はい」
達也の言葉に、国一は大きく頷いた。
「よかろう、許可しよう。一真の学業の邪魔にならん範囲でな」
達也は「ありがとうございます」と頭を下げると、そのまま和室を出て行った。
「…これで、よかろう。なぁ…?」
国一は仏壇に飾られた、真新しい二つの位牌に向かって微笑みかける。
そこに去っていった夫婦の笑顔を見た気がして国一は顔を綻ばせた。
そう言ったことが、珍しく国光が家に居ないときに決められてしまい。
一真本人も達也に説得されて、行く気になってしまったのだが…。
国光は納得しなかったのである。
国光も頭では理解できるのだ。
あの吸血鬼を倒した後から、一真の側では不思議なことが起こる。
風によってごみが入って目をごしごししながら、「風が止まればいいのに」と一真が呟くと、本当に無風状態になった。
天気予報を見つめながら、大事な試合の日に雨のマークが付いていた。
「お天気いいといいのにねぇ」
それまで、的中率100%でおそらく雨だろうと思っていたその日の天気は、晴れで、正しくテニス日和だった。
偶然がこう積み重なると、それは必然に為る。
だが、今のままでもいいと思うのだ。
対して人に害を与えていないのだから。
「一真」
「大丈夫だよ。土日や祝日つぶれちゃうけど」
国光は眉をひそめる。
「俺の試合に、応援には来ないつもりか」
「え、…えーっと…」
「今の状況ではいけないだろうな」
どうしてですか、と国光は口を挟んだ流魔をにらんだ。
「もし万が一、こいつ(一真を指す)が「国光兄ちゃん、勝てばいいのに」とか言ったとする」
対して面白くなさそうに口を開く流魔の態度に、国光は眉をひそめた。
「風が反応して、国光様に有利な状況を作り上げてしまったらどうでしょう…。貴方は納得できますか?」
弥生の言葉に、国光は初めて思い知った、と一真を見つめる。
「…流魔さんと須藤の小父さんに、聞いたらそうなるかもしれないって聞いたんだ。そしたら僕、もう二度と国光兄ちゃんや裕太や薫の応援できなくなっちゃう」
「…」
国光の眉間の皺が深くなる。
「…ね? 兄ちゃん」
一真の言葉に、国光は深く溜息を付いた。
それはしぶしぶながらも彼が、一真が修行することを許した証であった。
「修行?」
少年漫画みたいだな、とは口にせず、海堂薫はラケットを振りながら友達の言葉を待つ。
「うん」
「なんか漫画みてぇだろー?」
そう素直に口にしたのは不二裕太。
あの事件から、三人は放課後学校が終わるとなんとなくつるむようになった。
海堂も裕太も一真のことを最初は心配して一緒に行動していたのだが、今となっては一真も含め、良きテニス仲間になっていた。
一匹狼で一人でもくもくと練習をする海堂だが、皆と一緒に練習ができないわけでもない。
裕太も海堂もプレイヤー同士、切磋琢磨しあいながらテニスの技を競い合っている。
海堂は自分よりも上を行っている(けして彼は認めようとはしないが)裕太のセンスをなんとか吸収しようとしているし。
裕太は兄・周助の元を離れて一緒にまともにテニスができる相手を見つけられ、喜んでいた。
しかも相手は周助の弟だからテニスができるんだろうとか、周助の弟、としてしか見ない連中ではなく、不二裕太として接してくれる数少ないテニス仲間と言っても良かった。
「だから、土日とかお休みの日は遊べなくなっちゃう。ごめんね、薫」
「薫って呼ぶな」
そう言うと一真は決まって「ぶー」と唇をとがらせるので、弟にするように海堂はほっぺたをぎゅにゅっとひっぱった。
「ひひゃひ、ひひゃひっ」
そんな一真の顔を見て「ぶほっ」とむせると、裕太はげらげらと笑う。
「にしても、そうしたら大会とか練習とか来れなくなるじゃねぇか」
ぼそり、と海堂は言うと一真の頬をひっぱってから、ぽん、と放した。
「お前、勝ち逃げか?」
海堂の言葉に裕太は、ようやく笑い声を収めた。
「…まだ気にしてんのか? 海堂」
「気にしてるどこじゃねぇ。俺はこいつに勝たないと気がすまねぇ」
吸血鬼事件の直前。
海堂は一真と試合をしている。
僅差で敗れた海堂は、それからことあるごとに一真に再戦を申し込んでいた。
一真としては相手をしてやりたいのも山々なのだが、自分の言葉、心のままに動き出した自然界の精霊達が一真に有利な展開を作ってしまう可能性が大きく、そうすることによって「ずるをした」等と海堂に嫌われるということを恐れた為、のらりくらりと一真は再戦を断っていたのだ。
「したら次ももし一真が勝ったら…」
「当然、再戦だ」
静かに燃え上がる海堂の言葉に裕太と一真は顔を見合わせた。
「じゃあ、僕がわざと負けたら」
「馬鹿やろう、そんなことしたら絶交だ」
本気でやれ、本気で。
そう言われて一真は困った笑顔を作る。
「んー、判った。本気で出きるようになるよう、頑張って修行する」
「どういう意味だ?」
一真は裕太と海堂に国光に説明したのと同じ説明を二人にした。
話をひとしきり聞いて、海堂はまじまじと一真を見つめて、それからまた弟にするように頭を撫でる。
自分の実力以上に不思議な力を無意識で使うというのは、とても恐ろしいことだろうと彼らなりに実感している。
なにせ自分たちの目の前で、彼等は今まで御伽噺でしか知らなかった吸血鬼や魔法じみた力が使われたのだ。
それは今でも夢に見る。
恐ろしい、それらを駆逐し、心温かなものに変えたのは小さな少年の存在だ。
頭を撫でられた一真はにこりと笑ってこう言った。
「だから僕、修行してむきむきになって行くからね。期待してて!」
「「いや、それは止めろ」」
二人は綺麗に突っ込みを入れた。
風が、大地が、火が、水が。
様々な精霊たちが、彼を待っている……。
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