橘霧香は緊張していた。

とんとん拍子で試験をパスし、資格を手に入れたその瞬間に一族は自分を閉所に飛ばした。

いや、閉所といってもそれは「名前」だけで実質は違う…と思いたい。

人員的問題や物資という大きな問題もあるが、きちんと仕事はこなしているし、この研修が終了したら警視という地位とともにこの部署に舞い戻ってくることがすでに決定している。

逆にやりがいがある場所で、特にこれといって問題も起こしていない、そのはずであるのに彼女は応接室で固まっていた。

手塚国一。

元警察関係者であり、警視庁に勤務している警察官にその名を知らない人間はいない。

警察を辞めた現在もその影響力は大きく、彼の発言は無視できない。

霧香たち術者から見てみれば「一般人」というカテゴリーの中に入るこの老人は、いまだに現役であるという護身術(という領域を超えた格闘術)の指南役として時折警視庁に出入している。

達人クラスの腕前で、新人警察官は一度は彼にしごかれ、特に起動隊には師匠と崇める人間もいる。

下ばかりではない。

上層部、はてまたは政治家の一団体も彼のシンパだと小耳に挟んだことがある。

彼に嫌われたら総スカンにあうだろう、とは彼女の現在の上司、そして研修後は年上の部下の言葉だ。

その彼が、名指しで彼女に会いに来るのだ。

こくり、と唾を呑み込む。

術者として流派を超えて力になるものは全て身につけ、伝統を重んじる一族の老人方と相対するときとは比べられないほどに緊張していた。

数回のノックの音に、それはピークに達した。

深呼吸を数回繰り返し、小さくそれに答えるとドアが開いた。

「待たせてしまったかの?」

「い、いえ…」

霧香は敬礼をしてみせた。

老人は笑って、手でそれを止めさせた。

「初めまして。手塚国一という。少々、お話を伺いたい」




この出会いが彼女の部署の未来を大きく変える事になる。




第壱章 麒麟修行編

(2)大地の娘達

(2)




手塚国光は目の前の宿題の山を一つ一つ、小学生にしては驚異的なスピードで片付けていた。

連休用の課題を全部まとめて終わらせようとしているのだ。

「これが終わったら、テニスしようね。手塚」

脇のテーブルでお茶を飲む同学年(ただし学校は違う)の不二周助の言葉にシャープペンの動きが止まる。

連休前の金曜日なのだが、珍しく一真は須賀家に行かなくてもよいということで、国光は内心はしゃぎながら(とてもそうは見えないのだが)休みの計画を立てた。

父の国晴が休みであれば登山に行くこともできるのだが、残念なことに休日出勤が決定してしまっているためそれはできない。

ちょうどテニスの大会もないし、練習は一日あれば大丈夫だろうと国光はそう自分勝手に判断する。

ここ最近、義弟とまともに遊んだ覚えがないのだ。

学校が終わったら、放課後は祖父の国一指導の下で邸内にある小さな道場で体を鍛えるか庭でなにやら風術と呼ばれる類の訓練をしており、国光と話をしたりじゃれたりするのは寝る直前であった。

休日は休日で地使いの須賀達也の家で修行がメインで、たまにそれができない時は兄よりも友人である海堂薫や不二裕太を優先させる。

べたべたとするつもりはないし、そんなのは正直気持ちが悪いとは思う。

しかし、「寂しい」。

折角、兄弟となったからにはきちんと「お兄ちゃん」したい、いやそれ以上に「一真と遊びたい!」というのが国光の想いだった。

どうも使い人という大人たち(流魔は中学生だが)に弟をとられた気がして仕方ないのだ。

須賀の家に行かなくてもいいということと、祖父である国一の用事があって今日・明日は道場を使えないと聞いた今朝、「今日は迎えに行くから誰とも遊ぶな」と一真に言い含め、学校から帰るとランドセルを背負ったまま、一真の通う小学校に直行して迎えに行くと裕太達に別れを告げさせて帰ってこさせた。

「さぁ、宿題をやってしまうぞ」

「う、うん」

なにやら迫力のある義兄の様子に一真はこくこくと頷くと、国光の部屋の小さなテーブルに筆記用具を広げた。

までは良かった。

「やぁ、手塚。ちょっと教えて欲しい問題があるんだけど、今平気かな?」

携帯番号を教えたての不二周助からのこの言葉に、国光は眉を寄せた。

(学校が違う人間になぜ教わりにくるんだ)

この少年が来たら遊びどころではなくなり、テニス一色に染まってしまう。

それはそれでいいのだが、やはり義弟の相手は出来なくなる。

それはまずい。

急いで断りの言葉を言おうとした矢先、相手のほうが先手を打った。

「あ。ちなみにもう君の家の前なんだ。裕太と海堂くんもいるよ」

「………」

すでに家に来ているという少年達に、それから断るということは国光にはできなかった。

周助に引きずられる形でやって来た、彼の弟・不二裕太と、すっかりテニス仲間になった海堂薫が気の毒になったからでもある。

おのおの、宿題とテニスラケットとお泊りセットを持ってきているのを見て、国光はかすかに遠い目をした。

(…泊まる気満々か、不二…)

申し訳なさそうな裕太と海堂の様子に首謀者は周助と分かっているものの、彼ほど口が回らない国光は何も言えなかった。

彼の見守る中、周助は手塚家の主婦を丸め込み、味方につけたかと思うとすっかり以前から約束していたかのように思わせたのである。

「周助兄ちゃんってああいうの巧いね」

「一真…」

「一真、頼むから兄貴を感心するのは止めろ。あと、絶対マネすんな」

弟達がそういいあっているのを尻目に周助は手塚家主婦のお気に入りと化していく。

国光の目には周助に、よく漫画であるような悪魔の尻尾が見えた気がした。

そして、数十分後。

不二兄弟と海堂薫、そして手塚義兄弟の5人は仲良く庭が見通せる居間で、宿題に向かっている最中だ。

「裕太。この問題教えろ」

「海堂、本当に応用問題だめだな」

「うるせえ」

「薫、これはね…」

「薫、言うな! 一真っ」

なんとも微笑ましい弟達のじゃれ合い。

それに比べてこちらは…。

「手塚、どうしたの? 聞こえなかった?」

「聞こえてはいる」

小学生にしては切れ長の目を向けながら、黒い空気を放っていた張本人を見つめる。

「…どうして来た」

「…僕と裕太、ぎくしゃくしてるのは知ってるよね」

教科書をめくり、声を低くして弟達に聞こえないようにする周助に国光は眉を寄せた。

「でも一真君はさむとね、それがないんだ」

海堂くんもそうだから、巻き込んじゃったと笑う周助に国光は小さく溜息をついた。

「…そんなに仲が悪いようには思えないが?」

「裕太がね…、僕と比べられるのが嫌なんだって」

「……」

国光はちらりと視線を弟達に向ける。

裕太は海堂のノートを覗き込みながら笑っていた。

「だから、よく家でも避けられるんだ。本当に最近、なんだけど。だけど、一真君たちがいたら、そうでもないから」

周助も笑う。

それはくったくのない笑み、とは言えない。

(そういう理由なら、仕方ない、かな)

「あぁ、でも勿論僕も遊びたかったんだよ。一真君と海堂君と一緒に手塚で」

「……」

国光はその言葉を反芻する。

(一真と海堂と一緒に「俺で」遊びたい?)

にこにこにっこりとそう微笑む周助に国光は憮然とした表情を浮かべた。

何か言いたいのだが、山のように言い返されるような気がしてならない。

と、その時だ。

庭の景色を見ながら宿題をしていたので、開けっ放しにしていた場所から優しい風が舞い込んできた。

「!」

それはひゅるるっと、一真の周囲を取り巻いていく。

その様子に傍にいた裕太と海堂は瞬きを繰り返した。

あまりにも不自然な『風』。

思い当たることはひとつだ。

((風の精霊だ))

「一真?」

「…なんか、あったか?」

『使い人』という、現実にいる精霊魔術を使う人間たちによって「風」の精霊を抑制し、制御している術を身に着けていることを知っている裕太と海堂は一真の様子を見た。

温和でおっとりとしたいつもの表情とは違い、眉根を寄せている。

「一真、どうした」

「なにか、来る」

国光の問いに、その表情のまま一真は答える。

「どうしよう、兄ちゃん」

きゅうっと困ったように一真は国光を見つめた。

「何が来るの? 一真君」

周助の優しい言葉に一真は耳を澄ますかのような仕草をした。

「怖い、やつか?」

裕太の言葉に一真はふるふると首を横に振った。

「どう、言えば、いいんだろう」

「感じたまま、言葉にしてごらんよ」

「うー」

うなる一真の傍に行くと、国光は優しく頭を撫でてやる。

「大丈夫だ、言ってみろ」

「うん…」

ひゅるっ。

風が子供達を取り巻くと同時に開け放たれたその場所から外へと出て行く。

「とても強い、押さえつけられてる力の、欠片」

一真は玄関の方をまっすぐ見つめた。

「この家に向かってきてる」

「人、か?」

「女の人、高校生くらい」

裕太と海堂は顔を見合わせた。

ふいに中学生なのだが落ち着いたところの草薙弥生を思い出す。

「使い人の人じゃないのか? 一真のこと、須賀のおじさんとかから聞いた人とか」

裕太の言葉に周助は首を振る。

「…いや、それでも先にこっちに連絡が来るんじゃないのかな。 どうなの? 手塚」

国光は周助の言葉に頷く。

「あぁ。使い人関係で一真に用事がある場合は、母さんかお祖父さんに連絡が来ることになっている」

一真は少なくとも地使いである須賀預かりの人間だ。

他の使い人が一真に直接会いに来る、としても彼から連絡が来るものだと手塚家は思っている。

「使い人、なんだろうけど、違う? 今は違う、のかな。その人の回りの精霊は話しかけたい、けれど邪魔してるのがいる」

「邪魔してる?」

「ん」

すっかり子供達は宿題をすることを止めた。

「そいつ、悪いやつか」

海堂の言葉を聞きながら、国光は自分の携帯を取り出した。

メモリーには勿論、須賀の連絡先が入っている。

「わかんない」

「わかんない?」

裕太が聞き返す。

「なんだろう、その人気がついてるのかどうかも分からないけれど、とっても強い力が体に染み付いてる。じわじわって感じに命令してる」

「命令?」

「どんな?」

「ここから出せ! 開放しろ!」

そういうと困ったように一真は立ち上がる。

子供達もつられる様に立ち上がった。

「どうしよう、その人もうすぐ来ちゃうよ」

「悪い力なの? その人に命令してるのは」

「う、うぅん。違う、と思う。けれど…」

「けれど?」

うー、とうなりながら一真は国光を見上げた。

「人には悪いことっていうのは分かるんだ」

「人には、悪いこと?」

「じゃあ、悪い人じゃねーのか」

「違う。そうじゃない。うううううう」

一真はぐるぐると回りだした。

「落ち着け、一真。須賀さんに連絡しよう」

「でも今からじゃ、須賀さんでも間に合わないよ」

ひゅるん。

風が子供達を取り巻いた。

「き、来ちゃった」

「え(汗)」

そして微かにインターホンの音が聞こえ、彩菜の声が応対してる。

「か、かあさんっ! 待って、ぼ、僕が出る!!」

「一真?!」

慌てて子供達は居間から玄関に向かって走り出したのである。






そして子供達は、彼女と会うのだ。

一真と出会い、もう逢うことのない存在を思い出し、そして涙する人に。





続く/(1)の主人公バージョン。子供会議。
不二くんは「黒」属性でGO。あと橘警部冒頭のみ登場。
厳密に言うと「大地」というカテゴリーの能力を持っているわけではないけれど。
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