この異能の力しか自分にはなかった。

妹達や他の一族の者たちが聞く「精霊の声」なんて聞こえなかった。

問いかけても、問いかけても。

泣いてすがったときもある。

声さえ聞けば。

そうすれば父から、母から、愛されるとそうどこかで願って…。


だけど声は聞こえず、その変わりに重力を操る異能の力をさらに強めた。



「その力、消えるかもしれないよ」


この力が?

私の唯一の力が?

選択を突きつけられて、私の背中を押したのはやはり、懐かしい愛すべき一族の色……。




第壱章 麒麟修行編

(2)大地の娘たち

(3)





一真は困惑していた。

今もなお、地響きのような命令する声が相手の肉体から発せられていて、それは人にとってはよくない声であることはよく判っているのだが。

「えと…」

高校生ぐらいに見えるその女性は、自分を見つめて泣いている。

そんな相手に一真は強く出られない。

どうしていいか判らず見上げたままでいると彼女のほうが動いた。

「姉様」

そう言いながら一真の小さな身体を抱き寄せる。

その間も、一真は彼女の行動を無抵抗に受け入れていた。

一真の目には泣いている女子高校生の姿ではなく、自分よりも幼い少女が何かを求めて訴えながら自分にすがり付いているような姿に見え、それが反抗する力を失わせていた。

たとえその身体から不気味な声がなおも響いて来ているとしても。

その様子を子供達はそっと物陰からのぞいた。

「あらあら」

彩菜は小さくそう言うが、彼女から見て一真が嫌がっていない様子を見て咎めなかった。

自分の友人であった一真の母の知人というのはあながち嘘ではないらしいと、逆に安心する。

あの一真の父母を奪ったあの事件が、解決(少なくとも手塚家と一真の間では)してから、それまでの拒食症状がなんとか治り、一真は元気を取り戻した。

魂となってしまったその後に、一真の危機に訪れて助けてくれた母や義父たちときちんとお別れをしたと教えてくれた。

おそらくそのおかげで一真本来の明るい性格を取り戻して行った。

まだ誰も気がついていないが、元気になっていく一真の容姿は亡くなった実母に似てきている。

「……姉様って言ってるってことは、一真のお母さんの妹さん?」

流石に一真の妹ってことはないからね、と彩菜の横で本人たちはこっそりと覗いているつもりである少年たちの一人が小さく言った。

話上手な、息子と同学年の男の子だ。

「そんな話は聞いたことがない」

息子が小さく呟く。

「あの女が悪い奴か?」

「そうは思えないけど」

一真と同学年の少年たちもこそこそと小さな声で呟く。

「『悪い』奴?」

彩菜がそう聞き返したときだ。

ゆっくりと一真を抱きしめていた彼女が、のろのろとした動作で一真を離した。

「ご、ごめんなさいね…」

「…え、えと…そ、その…」

どう返していいか判らない一真の返答に彩菜は微笑み、そして助け舟を出した。

「大丈夫かしら」

「…はい」

持っていたハンカチを取り出して目元をぬぐう仕草は良家のお嬢さんのように見える。

「石路紅羽、と申します」

生前、一真の母と祖父にはよくしてもらったと言うと彼女は頭を下げる。

「…手塚彩菜です。ここではなんですから、どうぞ中に…彼女も、いますから」

その言葉に紅羽と名乗った少女は、はっと彩菜を見つめ、そしてまた泣きそうな顔でなんとか笑みを作るとそれを一真に向けた。

「えと…」

照れくさそうな顔をしながらも一真も、彼女の手をとった。

「どーぞ」

「…大丈夫そうかな?」

「…うん」

その様子を見ながら海堂と裕太は警戒を解いた。

しかし、年長組の二人はそうはいかない。

「不二」

「使い人の大人の人達には負けるけど、僕達なりに注意しておこうよ。手塚」

ちらりと国光を見ながら、不二周助はそういいきった。

「あぁ」

こくりと国光は頷く。

一真や母を守るのは自分なのだと国光は思いながら、さりげなく石路紅羽と名乗った高校生を観察した。

一見してみれば、見目麗しい女性だ。

だが、一真が言っていた言葉が気になる。

「もしかしたらご本人も気が付いていないのかもしれないね」

「…自分の中の声にか」

「うん」

小声でこそこそと話しながら、国光と周助は先を歩いて仏壇の方に行きだした。

本来、術者であるのならばこういった言葉などすぐに気が付くだろうが、今彼女の注意は側で手を握っている自分たちの弟とその友人達、そして国光の母に向いている。

気が付く様子はない。

国光と周助は一真が言った言葉を気にしていた。

人には悪い事をしてしまう声。

それが彼女の中で、彼女と精霊達の関係を邪魔している。

精霊という言葉に二人は敏感だった。

使い人と呼ばれる人種と少なからず交流を持つ国光は、その彼らが精霊達を敬い、そして愛し、いつくしんでいるのだと知っている。

少なくとも水無月流魔以外はその様子がわかる。

それに対して精霊たちも彼らのその行為に報いるかのように、不思議な力を彼に与えるのだと国光は思っていた。

そんな精霊たちを邪魔する存在は国光にとっては「悪いモノ」そのもののように感じられる。

だが、一真の手を握り締めて、いまだに潤む瞳を向けている彼女は悪い人物とは到底思えない。

「カマをかけてみるかい?」

今日、テニスしない? と全く同じ口調で聞いてくる周助に内心溜息をつきながら国光はただ眉をひそめる。

「…反撃が来るとは思わないか」

「…その時は一真君が居るよ」

「弟を盾にしろとでも?」

「僕らに対抗する力があるのなら、そうするけれど」

不二の言葉に国光は憮然と頭を振った。

「回り道するよりも直に聞いてみるというのも手だよ」

「…」

今度こそ国光は小さく溜息をついて仏壇のある部屋に入ると座布団を出して座る場所に置く。

仏壇の中の写真に、自分を救ってくれた人を見て取って、周助は静かに頭を下げた。

「で? どうするの?」

「様子を見よう」

国光の言葉に周助は唇の端を上げた。

その笑みに(本当に小学生か?)などと自分のことを棚に上げて国光がこっそり思った事を周助は知らない。





仏壇のある部屋まで来ると石路紅羽…彼女は、またはらりと涙をこぼした。

お焼香を上げ、仏壇に手を合わせるその姿は亡き人物を想う人であって、一真が少し涙目になっているのに気が付いた裕太と海堂はそっと一真の側に行くと頭を撫でる。

一真は、自分の母をここまで愛してくれている人がまだいたとは知らなかったのだ。

彩菜が微笑みながら、仏間と繋がる和室を開けるとそこにお茶を用意した。

その間に、一真や裕太・そして海堂は紅羽の邪魔にならないようにそっと出て行く。

用意を手伝っていた国光や周助も彩菜に頭を下げて部屋を出て行く。

すぐ側の中庭を見渡せる縁側に座って、俯いている一真…どうやら少し涙を浮かべたのが恥ずかしかったらしい…の頭を、国光と周助が交互に撫でてから腰掛けるように座った。

「お母さんを想ってくれる人が、いてくれて嬉しいね? 一真君」

「うん」

恥ずかしそうにこくんと頷くと、一真は立ち上がる。

「…声はまだ聞こえるか?」

国光の言葉に、一真は戸惑いながらも「うん」と頷いた。




一方その頃、紅羽は手塚彩菜からこれまでの詳しい事情を教えてもらっていた。

紅羽が感じていた大きな霊力のことを、それとなく聞いたのがきっかけだった。

紅羽は、一般人である彩菜が使い人という存在を知っていた事に驚愕していたが、話を聞くに連れて納得した。

類稀なる霊力と風・地の使い人の術を操るという一真に紅羽は驚いた。

彼女は知らないが、当代使い人最強の一族である水無月の嫡男が一真の事を「規格外」と評価したのは間違いではない。

話が進むにつれ、紅羽の中にある考えが浮かぶ。

(…一真君の力を、利用できないだろうか?)

自分の計画に、と考えた瞬間、紅羽は己を恥じた。

(姉様の子供を…なんてこと!)

己を叱咤し、彩菜の話に耳を傾けた。

「…本当に、よくしていただいているのですね」

紅羽の言葉にふんわりと微笑む彩菜の笑みに、かつての姉の姿を見た気がして紅羽は久しぶりに心の底からの笑みを浮かべた。

誰かになんの打算もなく笑みを浮かべられたのは、数年ぶりだ。

紅羽はしばらく彩菜と談笑しあった。



(あぁ、これで何も思い残す事はない)

紅羽は「お邪魔をいたしました」と立上りながら、そう思う。

(仏前に立てた。あの人の子供にも会えた)

やんわりと別れの言葉を口にして廊下に出ると子供たちが居た。

「最後に、一真君にご挨拶を」

「…えぇ」

養母である彼女の言葉に「ありがとうございます」と返し、紅羽は彼らに歩み寄る。

(話をしたら、心に刻もう)

(そして蓋をしよう)

明日からは自分は自分の立てる計画通りに動くのだ、と彼女は思いながら、彼らを見つめた。

「…初めまして。ご挨拶が遅れてごめんなさい」

優しい彼女の声に、子供たち…特に一真はもじもじしながら彼女を見上げる。

「初めまして。僕、不二周助っていいます」

「手塚国光です」

二人の少年は小さく頭を下げてからそう名乗った。

「お、俺は不二裕太」

「海堂薫…です」

「…」

最後に一真は困ったような表情を浮かべてから、笑う。

「…手塚一真。前の苗字は影山っていいます」

「えぇ」

大きく頷くと、笑みを浮かべる。

「お母様にはたくさん、たくさんお世話になったの」

「…そうですか」

一真はそれだけしかいえなかった。

周助は小さく笑うと、彼女を見上げる。

「…石路紅羽さん、は使い人なの?」

一般人の周助の口からその言葉を聞いたとき、紅羽は一真の養母の言葉を思い出した。

「えぇ」
(一応、血筋だけは)

「精霊さんたちとお友達?」

「…っ」

つきんと胸が痛むが、それを紅羽は隠す。

「いいえ。違うけど、それでも使い人…そうね退魔術の類は使えるわ」

「ふぅん」

周助の笑みがますます深まった。

「石路さんは精霊さんたちが嫌いなの?」

「嫌いではないわね?」

そう、嫌いではない。

だた彼らの声が聞こえない。

「聞いた事ないの? 精霊さんたちの声。一真君はよく聞いてるみたいだよ」

「…聞いた事、ないわ…。でも…どうしてそんなことを聞くのかしら?」

周助に紅羽は困ったような笑みを向ける。

「不二」

「一真君もちゃんと聞かなくちゃ。さっきからもじもじして…それとも気にならないの?」

「…気になるけど、聞いちゃいけないのかなって」

窘める国光と、眉をハの字にしている一真。

わけが判らない紅羽にもう一度、周助は言った。


(さてどういうことになるかな?)

不二は満面の笑みでこう教えた。

「一真君が言ってたよ。お姉さんの中で命令してるのが邪魔してるって。

不二は呆然とした石路紅羽を見てにっこり笑った。



「その声が、精霊達とお姉さんのこと邪魔してるんだって」

その言葉に石路紅羽は固まったように動かなくなり、少年たちを見つめ返した。




(何? 今、なんていったの? この子)


自分の知らなかったことがここで、突如として暴かれ石路紅羽は狼狽した。







続く

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