警視庁特殊資料整理室の現責任者であり創設者の久米喜十郎は、いつもの助平爺の顔を潜めて、茶を啜っていた。

友人であり、いまだに警察上層部にシンパを持つ手塚国一の義理の孫のことを、この男は知っていた。

その親たちとも数回は顔を見合わせたことがある。

その折、母親に対してはセクハラ紛いのことはやってのけ、自身の『手』で確かめ、使い人であることは解っていた。

…だが、その後、まさか妖魔…上級になるだろう吸血鬼に殺されるとは考えても見なかったが。

他の整理室の人間はそんな老人の様子に明日は天変地異でも起こるのかと考えたようだが、彼はそんな周囲の様子を他所に深々と溜息をついた。

「手塚、一真、か」

親が死に、自らの命の危機に覚醒してしまった使い人。

親は使い人の道を捨てたが、あの様子では子供はその道を歩まざる終えないだろうという予感がする。

老人もまた、首都圏に突如として現れた大きな霊力の源を感知していたから。

(まぁ、それが国一の家だったから放っておいたのじゃがの)

なまじつつけば国一がどういう行動に出るか解らないからと、老人は自分に言い訳した。

それだけの行動力とカリスマはいまだ健在なのだ。

「さてもさても、どうなることやら」

老人はそう言いながら、側に寄ってき婦女子の尻を一撫でしていつもの己に戻る。

考えても考えても、どうせ己の心配など無用なのだと思いなおした。

なにせ、この整理室の次代を担う女が行ったのだ。

自分より上手く対処してくれるだろうと。



その判断は、正しかった。






第壱章 麒麟修行編

(2)大地の娘

(5)



手塚一真に手をつながれたままの石蕗紅羽は、恐慌状態に陥った精神状態をなんとか冷静に落ち着かせた。

「何を、言っているの?」

「しらばくれないで頂戴。…たとえ、妖魔を破壊する力はなくても感知する能力は風使いにも劣らないわ」

ぴしゃりといいのけて、周りに居る小学生たちの存在に橘霧香は唇を噛む。

(こんなことになるんだったら札、一式持ってきておくんだった…!)

そう思っても顔には出さない。

常に余裕の表情で紅羽に向き合う。

「…そういうことで…、貴方たちも離れてくれないかしら? その危険なお姉さんから」

「やだ」

「だめだと思う」

「申し訳ないですが」

「すんません」

「…」

紅羽の手を繋いだ一真が即答し、裕太が続き、申し訳なさそうに国光が言って、海堂がぺこりと頭を下げ、止めに不二周助の絶対零度の笑みが霧香に向いた。

「どういうことか、説明せんか」

「うん」

その言葉に紅羽と霧香の視線が彼に向かう。

つながれた指が「離さない」とばかりに指にからみ、紅羽はどきりと自分の心臓が高鳴るのを感じた。

それと同時に、己の中で何かが苦しげにのたうっているのも。

「このお姉さんの中に、何かがいるんだ」

「…おそらくは、妖魔かと」

小声で霧香が呟くがその言葉は紅羽の耳にあいにく届いてしまった。

「…そんな、そんな馬鹿な話ってないわ…! 私は…使い人なのよ…?!」

(たとえ地術が使えなくても…!! 重力を操り、何度も妖魔と渡り合ってきた己に、妖魔がとりついているなどありえない!)

少年の指が絡み、その動きで心が落ち着いた。

ひどく動揺している彼女に、一真はゆっくりと彼女を見上げた。

「お姉さんは、どんな『力』を使うの? 僕、みたく精霊さん? それとは違うの?」

「…私は…」

重力を操れる、という言葉を紅羽は飲み込む。

それはどうあがいたところで地の精霊たちの加護によってできるものではないのだ。

その様子に一真や子供たちは「少なくとも精霊の力じゃない」とすぐに理解した。

彼等は一真を筆頭に、その術は身近に感じている部類のものだったからだ。

「その子はお姉さんのずっとすぐ側に居て、お姉ちゃんがもっともっと小さな時から土の子供達とのお話を遮断してたんだ」

「…っ!」


聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ聞クナ。


エンドレスで男とも女とも、自分の意思とも思えるようなそれが彼女の中で叫び声をあげる。

霧香はさりげなく、札をかまえた。

「一真、そいつお姉ちゃんのこと苦しめてんだろ? やっつけちまえよ」

「でも、ここまできてるとやっぱり『霊覇』の風じゃないと、だめで」

(『霊覇』の風…?!)

子供たちの会話に霧香は血の気が引いていくのを感じる。

最弱とされる風使い。

だがその風使いが、当代の使い人では最強の冠をかぶっている。

風でありながら、神炎使いの神凪宗家のそれと匹敵する、いやそれ以上の浄化の能力をもった『風』を、『霊覇』と彼女たちは認識していた。

それを、年端も行かない…少なくとも使い人としても成人していない…少年が繰り出せるとはとうてい思えなかったし、何よりもそれをどう転んでも一般人の枠を出ないだろう子供たちが知っている事も驚きだったからだ。

「草薙さん、遅いっすね」

「今しがたメールを打ったばかりだからな…」

「うぅん、来た」

海堂少年と国光の会話に、一真が笑った。

もう、これで安心というように。

「お姉さん。僕の言う事が、あの女の人の言葉が信じられなくても、この人の言葉なら信じられると思うよ?」

「俺を呼び出すとはいい度胸だな、ゴマ」

「正確には草薙さんをお呼びしたんですが」

ヒュラリ

風の結界と一緒に庭先に二人の人物が飛来した。

国光の突っ込みに「ふん」と鼻で笑ってから、一真と手を繋いでいる紅羽に目をやり、そして細める。

「妖魔憑きか? ゴマ。この物騒な女はお前のか?」

後半の言葉がともかく、前半の言葉が紅羽を打ちのめした。

「…風の結界…?」

探査・補助系統にいくら風使いがすぐれていても、ここまで見事な結界を作れる人物を紅羽は思い至らない。

居るとすればかなりの使い手だ。

その使い手の、思い至るであろう名前をあいにく彼女は一人しか知らなかった。

「まさか、水無月幻那…?」

そう言ってから後悔する。

最強の風使いは、確かもう中年の域をさしかかった男だ。

目の前に居るのは一般的にはと言える年齢の二人。

「あいにくその男の息子だ」

最強の風使い、その直系である水無月流魔とその付き人草薙弥生であった。

がくり、と紅羽は思わず膝をつく。

(風使い、しかも最強の水無月までも…?!)

「お姉さん?!」

一真になんとか支えてもらう彼女を見て、にやりと流魔が人の悪い笑みを浮かべたのに誰も気がつきはしなかった。







「茶を出せ」と言わんばかりの流魔の態度に内心はらはらしている草薙弥生と一緒に、にこやかに対応している彩菜を感心しながら霧香は自分に出されたお茶を見つめていた。

その隣には一真の手をしっかりと、今度は握り締めて離さない紅羽と手塚一真。

そしてその兄の国光と不二兄弟、海堂薫が大人しく座っている。

手短な自己紹介を終えた一同は、じっと話を聞いていた国一の言葉を待った。

「…で、そのお嬢さんの中のものに気が付いた一真のことを見て、周助君が言葉で追い詰めはじめた、ということかな?」

「追い詰めた、というのは言葉が悪いと思います」

周助はしれっとそう言いながら、ふんわりと天使の笑みを浮かべる。

見る人間には、それは天使ではなくて悪魔の笑みなのだが。

「一真君の話によると、自然には普通の事で人には悪い事。そしてお姉さんを闇の中に連れて行ってしまうような物がいる。だけど、それはお姉さんに力を与えていて」

周助はちらりと紅羽を見つめた。

「もしそれを払っちゃうと、お姉さんの力がなくなるって前もって言っていた方がいいと思って」

「それでも、僕は払った方がいいと思ったんだ。…だから、もう少しお姉さんに居て欲しかった」

「なんじゃ、一真。自分では無理なのか?」

「そういえばゴマは須賀さんに『霊覇』は止められていたな」

こくり、と流魔の言葉に一真は頷く。

きゅっと紅羽が繋いだ一真の手を握り締めた。

そんな彼女を気遣ってか、にっこりと一真は笑いかける。

「それで僕と一真君とお姉さんにお話をして、国光君にメールで草薙さんを呼び出したんです」

須賀達也を呼ぶにしても遠すぎてすぐにはこれない。

なばら近場の使い人、とばかりに国光はさも当然とばかりに頷いてみせる。

霧香は溜息を吐きそうな自分を叱咤する。

危なくなったらまず警察へ連絡しなさいというべきか、いやここまでのレベルの妖魔の浄化ともなれば、なんとか彼女の身体から追い出せるか出せないかであって妖魔本体は無傷だろうと思う。

正直に言おう。

妖魔自体を直接封印、及び撃破できる存在は『使い人』しかできないのだ。

陰陽師や、他の退魔師、あるいは気功師のごくごく一部、超能力者も、確かに妖魔や不可視の存在を攻撃する事はできるがそこまで。

浄化し封印などというのは、大掛かりな儀式でもしないと他の術者にはできない。

それを簡単に…と、言ってもそれなりの能力と言霊においてやれるのが『使い人』なのだ。

(その中で最弱の風を使うのにも関わらず、最強と謳われる水無月直系)

後で一真との関係を問おうと霧香は思う。

もしも自分の交渉次第では、使い人の協力者が得られるかもしれないのだ。

「一真君…」

紅羽は隣で自分の手にずっと繋がれている少年を見つめた。

「私の中にいる物を、ちゃんと視れる?」

「…え…あ、うん。視れるよ」

「正体、が解る?」

「言っていいの?」

その言葉に紅羽は別の言葉が聞こえてきた。

お姉さんはもう『それ』がなんなのか気が付いてるでしょう?
黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ黙レ。

自分の中のその言葉に、今はっきりと紅羽は自覚した。

(なんてこと……!!)

それは自分の意思の声ではないという事を、ようやく彼女は気が付いたのだ。

そしてその存在の正体を、紅羽は気がついてしまった。

この存在を利用しようと計画を立てたはずだった。

あくまでもそれは自分の意思で。

(それが、それが結局は踊らされていただなんて……!)

自分の異能の力の源なのだと思い知って、ぞっとする。

(30年周期で抑えられるのではなかったのか…! それとも、所詮使い人とは言え、人間だから…?)

唇をかみ締める。

「この中のモノを浄化したら、私の力は、無くなるのね」

「…うん」

「…」

目を閉じ、そして見開いたときには、今まで呆然としていた一人の少女はどこにもいなかった。

決意のあるその眼差しに、流魔と、そしてなぜか周助の口の端が上がるのを子供たちは見る。

「…水無月、流魔」

「なんだ」

「お願いがあるわ。私の中に居る魔獣『是怨』の欠片を、できるのならば浄化して頂戴」

はっきりとそう告げた彼女に、風使いの男は笑ったままこう言った。

「…いいだろう、といいたいところだが」

「?」

「俺が浄化するんじゃない。お前がやれ、一真」

「へ?」

「…一真は須賀に止められておるのではないのか」

「そんなもん、黙ってればわからんだろう」

国一の言葉に流魔は簡単に言ってのける。

「なぁに、他にばれないように俺以外の風使いにも結界を敷かせるし、さらには」

そこで流魔は目を霧香に向けた。

「その手のことでは風使いにも負けない自信はあるだろう? 橘霧香。…いや、篁一門の女と言った方がいいか?」

霧香は風使いに目を向け、それから国一、一真達を見てから「えぇ」と大きく頷く。

「準備が整い次第、浄化にかかるとしよう。そうだな、明日の夕刻ってことにするか」


小さく、紅羽は頷いた。






これにより、彼女の運命は大きく変貌をとげたのである。






続く/本当は他の『退魔師』にも妖魔の類は粉砕できる事にしようかとか思ったんですが。
この世界では
使い人(精霊魔術師)=魔術師(妖術師)>退魔師>超能力者みたいな感じですかね。
攻撃における力の差は。

逆に退魔師(霊媒師、霊能力者)は、使い人達の使う道具を効率よく生産できる、みたいな。


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