力がなくなった彼女に対して、父親は嬉々としてこう言い放つ。

「力のない者等、石蕗家には必要ない」

数日前ならば、心が折れていた。

絶望という名の二文字に心は染まりきって。

だが、彼女はもう一人ではない。
 
「石蕗を名乗ることだけは許そう。どこへなりとも行け」

血が繋がったものとしての、それが最大限の譲歩だといわんばかりに男は目の前に座っている少女にそう告げる。

憐憫も沸かない。

ただあるのは一族の糧にさえなれない邪術師であったと。

「今までお世話になりました」

少女はそれでも礼儀とばかりに頭を下げた。

「別れを告げてきてもよろしいでしょうか?」

誰に、ということは男には聞かなくてもわかっていた。

『石蕗』の、正しい地術を使う彼女の妹。

己の愛するただ一人の娘。

「ならん」

きっぱりとそういわれ、彼女は反論もせずにただ頭を下げると席を立った。

少なくとも自分の力で購入したものや身の回りのものをちゃん整えてある。

すぐにでも出て行こうと、彼女は立ち上がる。

そして足取り軽やかに、紅羽は歩き出した。

今後石蕗が、そして己の妹がどんな道を辿るのかは知っているが、彼女にはそれを今すぐに助ける術はない。

今動いてもそれは無駄になってしまうのならば、力をつけてこの家を変えればいい。

だから今は、『帰ろう』。

己を己と変えてくれた、元の紅羽に戻してくれた、愛しいと思えるあの少年が居るべき場所へと。











結局のところ、あの後水無月流魔と草薙弥生、そして彼女…石蕗紅羽は手塚邸に一泊した。

橘霧香は紅羽の様子を気にしたが「明日の夕刻にまた来る」と「このことは上には報告しない」と言って警視庁に戻った。

弥生と携帯番号を交わして連絡を付けられるように話をつけてから。

「…あの連中の事だから、大方交渉にでも使うんだろう?」

「『石蕗』には使えないと思いますが」

「何も、お前さんの家に対してじゃないさ」

と流魔と紅羽が軽くそう会話する。

ちらりと視線を交差させるが、先に視線をそらしたのは紅羽のほうだった。

「お姉さん、遊ぼう」

そんな紅羽たちに一真がそう声をかける。

「これだけ人数多くて一緒にできるのないかな?」

周助がそう笑いかけ、小学生たちが笑うと弥生も、そして流魔でさえもほんのりと素で微笑む。

流魔にも弥生にも、そして紅羽としても自分たちを「使い人」あるいは「異能者」ということを知って尚普通に接してくれる子供たちや手塚家は心のどこかを癒してくれる場所だった。

特に紅羽は一真の側から離れなかった。

一真の手に触れている、あるいは彼の側に居る時間だけが自分の中に居る魔獣の声を聞かなくてすむのだと思い知ったからだ。

子供たちは大いにはしゃぎ、そして楽しく遊んだ。

そうこうしているうちに、宿題がまだ中途半端だったことに気が付いた海堂の言葉により、あと少しだったからやってしまおうと、食事の後勉強会になり。

「そういえば、聞いていいっすか?」

海堂がそう流魔に声をかける。

目つきの鋭い少年のその言葉に流魔はふっと笑いながら「なんだ?」と返した。

「流魔さん以外の風使いって誰来るんすか」

「二人ばかり下僕が居る」

さらりとした言葉に小学生たちの動きが止まる。

意味が解らない一真、裕太、海堂の三人は一瞬何を言っているのかわからなくてきょとんとし、逆に意味が解った兄達二人は対照的な表情を浮かべる。

国光はしぶい顔で、周助はとてつもなく爽やかに微笑んだのだ。

その対象的な表情にたまらず、流魔は小さく笑い声を上げた。

「げぼくってなぁに? 裕太」

「…家来のことじゃねーか?」

「へー」

下僕は召し使いの男という意味で、家来は主君や主家に仕える忠実な従者という意味なのだがそこまで、その微妙な意味合いが解る小学生はそうそういない。

解ってしまった稀有な二人は、対照的な表情のままだ。

「…お名前を聞いてかまいませんか?」

「下僕一号、二号」

さらっと返されて国光は押し黙る。

「一真、お前聞いてねーの?」

「うん」

こくり、と頷き一真は小首をかしげる。

「流魔さま、そろそろ連絡いたしませんと」

「そうだな」

弥生の言葉に懐から携帯電話を取り出す。

『はい、もしもし水無月です。…兄さま?』

「鈴音。下僕どもはまだ生きてるな?」

『まぁ、ひどい言い草』

一真の耳には電話の向こうの言葉もクリアに聞こえてくる。

風の精霊達が彼の意図を汲まずに動いているのだ。

「鈴音って、誰?」

「流魔さんの妹」

「その人も風使いか」

「うん」

裕太や海堂に話しかけられ、一真は内心精霊達に声をかけながら電話の声を聞こえなくする。

(ぷらいばしーの侵害、だもんね)

その様子に気が付いて、流魔と弥生は小さく笑った。

微かに風が動き、少なくても向こうの声は一真普通に聞こえないようになる。

「明日の夕刻、浄化をするからお前たちも来い」

電話口の向こう側でなにやら文句が言われたらしい。

流魔の形のいい眉が潜められる。

「ぐだぐだ抜かすな。今からすぐにでも出れば新幹線の最終ぐらいには間に合うだろう。場所? 東京、とだけ言っておく。あとは風に聞け。それでも風使いか」

あまりな言葉に紅羽と国光の眉は寄ったままだ。

裕太達は困ったような表情を浮かべた一真を見つめた。
      子
「…風の精霊に聞けば、たいていの場所とか目的の人とか判るから。あとね、鳥さんとかの目を借りて見ることもできるんだって。僕、したこと無いけど」

その説明に、「ふぅん」と海堂と裕太は納得する。

「そしたら一真もできるのか?」

「やろうと思えばできる…のかなぁ」

そんな会話を年少組がしているのを尻目に一方的な会話は終了した。

「水無月の術者なのですか?」

紅羽の言葉に弥生は苦笑した。

「いいえ。けれども流魔様の…そうですね、術の弟子に当る方々かと」

「弟子? 俺の弟子は…そうだな。あえているとしたらゴマフアザラシ以外にはいない」

携帯をしまいながら、付き人である弥生の言葉を流魔はすっぱりと切り捨てた。

「何度も言わせるな。あいつらはただの下僕だ」

その下僕二人組みは京都付近にあるの奥深い山の中の水無月本家から、なんとか時間を合わせて新幹線の最終便に飛び乗ると、風の精霊たちを使ってようやく手塚邸を昼過ぎに見つけてやってくるのだ。

まともな睡眠時間も所持金も少ない上に、精霊術の連続の施行において顔色を多少なりとも悪くさせながら。

神凪和麻と風巻流也。

水無月流魔が下僕と称する彼等は数週間ぶりに、己の命の恩人である少年と再会する。

「遅かったな。すぐに結界を張る準備にとり掛かれ。弥生、警視庁のあの女に連絡してやれ」

容赦ない、水無月流魔の一言によってゆっくりと言葉を交わすことは無理であったが。




二人の風使いの『風』は人払いの結界の準備に取り掛かる。

呼吸を整え、風の精霊たちに訴えるとそれらは使い人の意思に従い、渦を巻いた。

体調が整っていれば数分で出来上がるであろう結界は、10分過ぎてもまだまだ下準備にもならない。

「遅い」

「…ってめ、手伝え…よ」

「まだ会話する余裕はあるんだな、神凪」

紅羽はその名にぴくりと反応する。

(神凪…? 火使いのはず…)

「和麻お兄ちゃんは、たぶん一真と同じで家と違う精霊が使えるんじゃないかなぁ?」

「そういう人って少ないんですか?」

裕太は自分の姉に対するの同じように、そして海堂は目上の人と同じように紅羽と接してした。

この約一日程度の時間ではあるが、一真を含めた子供達は紅羽によく懐き、それはかつての妹を思い出させるのには充分な時間だった。

(今は、もう真由美は私を姉として見ないだろうが)

本当に幼い頃にはまだ慕ってくれていた妹は、すでに石蕗の教育の一環として姉と隔離されている。

ほんのりとそれを思い出し、紅羽は本人は気が付いていないが切なげな笑みを浮かべた。

「そうね。全くといっていいほどいないはずなのに」

「いるよね、目の前に」

「あぁ」

紅羽の言葉に周助と国光が片やにこやかに、もう片方は無表情のまま頷いた。

周助も国光もハプニングがあったものの、お互い妥協の出来る範囲で子供らしく遊べたので機嫌はいい。

特に周助は久々に使い人の術が間近で見れると、弥生の側に国光と一緒に歩いていく。

「ここで見てもいいですか?」

「……えぇ」

和麻ともう一人、流也の術を見ている流魔の反応を見て、無言の彼の背中に許しを得た気がしてこくりと彼らに頷いた。

「ゴマ、そろそろ中心に入れよ」

流魔が数分後、ようやくその言葉を口にした。

「はーい」

紅羽の手を引いて、一真はてけてけと手塚邸の庭に造られた風の結界に入っていく。

無論、手を引かれた紅羽も。

それを見て、今まで黙っていた橘霧香は風の結界を取り巻く形で、久米老人から預かってきた…効くとも思えないが…「封じ」の札を含めたそれらを発動させた。

ギャラリーと化した国一と裕太、海堂は霧香の側で、周助と国光は弥生と流魔の側で「その」光景をまともに視た。

「…ぐっ…ぅ…っ」

紅羽の身体がゆらりと傾く。

小さな一真の腕が、彼女を支えた。

それを見て思わず近寄ろうとする国光を、流魔が片手で抑えて目で制した。

「弥生」

「はい」

穏やかな風が流魔たちを取り囲み、守り始める。

流魔の、国光を制していない側の腕が上がった。

精霊たちがそこに収束し、そして和麻と流也の二人、さらには霧香が作り上げた結界をさらに取り囲む。

「一真」

珍しく名前を呼んだ流魔のその呼びかけに応えるように、結界の中の一真の唇は動いた。



大 気 に 宿 り し 精 霊 達 よ



「ねぇ、弥生さん」

「?」

周助に声をかけられ、国光と弥生、そして背中でそれを聞いている流魔の意識がそちらに行く。(それでも流魔が作り上げた結界は微塵にも揺れなかったのは流石ではあるが)



風 と 為 り て 我 に 力 を 与 え よ



一気に一真の霊力と呼応した風の精霊たちがその数を、その力を爆発させた。

「ぐぅっ!」

「っ!!」

「…なんて力…」

一真からの力を押さえつけようとしている流也・和麻、そして霧香はその強大な力に歯噛みした。

霧香の札がその力に耐え切れずに燃え上がり、二人が作りあげた結界は吹き飛ぶ寸前までなってしまう。

ぎりっと歯を食いしばると、負けまいと精霊たちに語りかけてなんとか維持しようとしていく。



天 使 の 名 の も と に 集 い



結界の中にいる紅羽はその力に苦しむ、己の中のモノの気配を漂わせていた。

まるで細胞の一つ一つが口を開いて、中から異物を吐き出されていくような感覚に力が入らない。

ただ小学生であり、そして愛してくれた姉のような存在である女性の、子供が自分を支えてくれるのを頼りにするしかなかった。

その支えてくれる手の暖かさが、冷えていく身体に心地よかった。

自分の中に居る、是怨…富士山の精気が具現化した存在に目をつけたつもりだったのに、逆に取り込まれていたのに腹が立つ。

本来ならば、自分は助からない。

助かるはずが無いのに、紅羽は自分の未来を信じていた。

(…私は、きっとこの子と一緒に居る)

鮮烈な色…姉…いや自身の母よりも多少なりとも色彩が薄くなったように感じる少年と。

(私は、ようやく「私」に返る…のかもしれない)

是怨の苦しげな声を、彼女は聞いた気がした。



全 て を 悪 し き 存 在 よ り 解 き 放 て !!!



ズンッ!! と重い空気がさらに流魔の腕にかかる。

もう和麻と流也は歯を食いしばって己に応えてくれた精霊達を維持していくのに精一杯だった。

霧香に至っては、すでに彼女の力量を遥かに超える霊力の奔流になす術はない。

ただ見守るだけだ。

「もしかして、流魔さんも紅羽さんに憑いているもの、浄化する力は無かったんじゃないの?」

「…どうしてそう思う?」

周助の、その疑問というよりはどこか確信している言葉にそう言ったのは国光だった。

「だって流魔さんの性格だったら何が何でも自分の手で強制的にしそうだもん。それをしないのは、自分の手に負えないっていうのに気がついたから」

弥生は眉をひそめた。




 
れいは てんじん
霊 覇 天 盡 !!!



ドォンンッ!!!!!


風と霊力の衝撃がさらに結界内に響き渡る。

紅羽から是怨は…いや、その存在の欠片は絶叫を上げた。

10数年近くかけて、己の手駒にしかけていた、いや八割がたしかけていた少女の一つ一つの細胞からその存在を一切合財消されて行くからだ。

ようやく己を解放するべく手を打った、その一つがなくなるのである。

「そっちにお姉さんを連れていかさないよ」

一真はにしては珍しく強気な光を宿した瞳で紅羽の身体から、魂から、精神から是怨の力の全てに引導を渡した。

断末魔の叫びが、風使いと警視庁の女の耳に入る。

終わった。

そう感じた二人の風使いは膝をついた。

肩で息をしながら、今しがたの浄化をやり遂げた少年を見つめる。

その相貌には、畏怖であり畏敬の感情が見え隠れしていた。

流魔はしばらく己に応えていた精霊を使って、結界内に篭られた一真の霊力を霧散させてから、振り返った。

「……一般人にしておくには惜しいな。不二周助」

国光は一瞬だけ目を向いた。

それは先ほどの周助の言葉を肯定した発言だったからだ。

「流魔さま…」

「是怨とかいう名前らしいが、その正体は富士山の霊力の固まりだ。生贄で周期的に押さえつけるしかできないそんなもの、俺一人じゃ浄化なんぞできない」

くっと流魔の唇がゆがむ。

「だがお前の弟は、結局一人でやってのけたな」

(どこまでも規格外なやつだ)

国光はその言葉に、流魔は己が浄化できなかったのが悔しいのではないと気がつく。

「水無月さん、楽しいんですか?」

国光の言葉に流魔は軽く笑った。

「あぁ。楽しいぞ。お前の弟を、俺は風の力だけでも超えていくからな」

それは己の父親以外に超えるべき壁を見つけ、喜んでいる男の顔だ。

そしてその時、結界内に居た二人にも変化が現れた。

くたりと紅羽のい体はさらに一真にのしかかったのだ。

あまりの衝撃に意識が吹き飛んだのだ。

あわあわと慌てる彼を支えようと裕太と海堂が駆け寄る。




「あれが、手塚一真の…力、ですか」

「そうだ。…どう思う? 橘君」

青褪めたまま霧香は国一を振り返る。

「恐ろしいと思います」

それが彼女の素直な言葉。

「できるだけ早く、保護が必要だと思われます」

それは保護という名の監視だということは国一にはよく解った。

彼は小さく溜息をつく。

(…やはり、か)

国一はますます孫の行く末を案じずには居られなかった。


この一件により、警視庁特殊資料整理室の橘霧香は風使い数名(石蕗紅羽以外)と、そして重要保護対象者、手塚一真の存在を警視庁にもたらす。

そして彼らが未成年という理由で、彼女は手塚国一と深く交流していくことになるのだ。


その関係は、紅羽が家から放逐されても、一真が数々の精霊術の力に目覚めてからも続き。

はては風牙衆との同盟、そして専属とも言える退魔チームとの共闘をもたらし、警視庁特殊資料整理室の黄金期を作り上げるきっかけになるのだが、それはまた未来の話。







後に「青龍」と仇名される土使いはこう語る。

「闇に染まりつつあった、魔獣に支配されていた私を助けてこの世界に連れ出してくれたのは一真様だわ」

ほう、とどことなく頬を染めて彼女は言った。

「強い強い、太陽のような光でもなく、月光のような柔らかなそれは私の心と身体を助けてくれた。だからこそ」

彼女は微笑む。

誰もが振り返るような、そんな笑みを浮かべて高らかに。

「私が助けるのよ。姉様が助けてくれようとした、愛してくれようとした私が。助けてくれた一真様を。姉さまの子供…いいえ、本当に愛しく思う一真様を。今度は私が助けて、そして…お守りするの」







後に警視庁特殊資料整理室の長になる女性はこう語る。

「強すぎるというか規格外というか…とにかく目を離さない方が無難な子供だわ。一真君は」

くすり、と妖艶に笑う。

「だってあの子を中心に使い人、霊力者、そして魔術師が動き出し始めている。そう、あの子が全ての中心なのよ」

だからこそ、と彼女は続けた。

「彼が滅多に動かないように、私たちが見張っていなくちゃいけないのよ。彼が動いたとき、いいえ、その予兆が出たときそれは本当に『滅多な』ことがこの日本に起きるのだから」










最強(あるいは最恐)の二文字を背負う女たちは、大地に愛され、あるいは術を愛し、その力は何者からの攻撃を跳ね飛ばし、かの存在を護る事になる。

そう、かの存在の大いなる【盾】として。




第壱章 麒麟修行編 (2)大地の娘達


続/(3)炎の愛し子たちへ


後書き


風の聖痕キャラ「石蕗紅羽」「橘霧香」が主人公側に。
(1)がテニスキャラ皆無だったので満足・満足。思う存分力いっぱい、いつもどおりに強引な話になりました。
ごめん!(平伏)

あと海堂が年上の人に体育会系な話し方なのはおそらくはクラブかどこかで年上の人間たちが使ってるからだろうと。
それと蛇足ですが。
家来の意味合いは、その昔「家礼」「家頼」と書いて「親・親類に礼を尽くして敬い、転じて他人に礼を尽くす事」という意味もあるそうです。
(また「摂家や公家に出入りして礼儀や故事を習う人」という意味もあります)


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