29 毒を以て毒を制す
後編


「光燠はおるか」

海津総一郎が梨乃を連れて海津本家を訪れたのはしれから数日後のことだった。

梨乃の手には彼女の着替えなどの私物が入った大き目のスポーツバックが下げられている。

「総一郎様」

涼やかな声に梨乃は顔を上げた。

光燠と、その兄であり梨乃のかつて仕えるべきだと言われた光宗の母で、彼女とも顔見知りだ。

「梨乃ちゃん」

「お久しぶりでございます」

梨乃は丁寧に頭を下げた。

「光燠は奥の間で遊んでいます」

「そうか」

重々しく総一郎が頷き、梨乃は彼の後ろを歩調を一生懸命合わせて歩く。

本家は小さな湖のほとりに立てられていた。

水使いならではの建築をした家に、湖の中に突き出された離れが存在するのがわかる。

「光燠」

そこの入り口に来ると一声かけた。

「おぉ。おじーさんか。しばし待たれよ。今片付ける」

ひゅるんっ。

そんな音が聞こえたかと思うと、妖気か漂う。

こくり、と梨乃の喉がなった。

邪気をまとっていない、西洋風に言えば魔力の気配がするのだがそれでもその濃さに恐れが先に出る。

怯えることはないのだと判っているのだが、その力の強さには萎縮してしまうのが人間と言うものだ。

海津家には一人、唯一の魔術師と交流を持つがその人にはそんな恐れを抱かないのだが…。

「入るぞ」

「参られよ」

入るとそこは六畳一間の空間だった。

山のように詰まれた本にさりげなく梨乃は目を走らせた。

古代の文字で書かれているそれは魔術関係の文献のように思える。

「勉学か?」

「うむ。いささか思うところあっての。鷲見のところから持ってこさせた」

鷲見 晃泰秀。

使い人である海津家とそれに関係する地使いが唯一交流を持つ、夜久野流魔術の使い手の名前だ。

使い人はそこそこの人数居るのだが、魔術を持って彼らと懇意にしている人間はただこの男のみ。

「余を封じておった守り人といえど、本人の知識よりもこちらの方が役に立つでな」

そう言いながら、座布団を勧める少年は、以前梨乃が見かけたことのある儚げな印象を払拭した。

ここに居るのは光燠であり、そうではない人物。

とある武将の御霊と融合した少年の成れの果て。
    キメラ
魂の合成獣。

「その物言いだと、『光燠』と呼ばずしてこう呼んだほうがいいのかと思ってくるぞ」

総一郎は面白くなさそうに、座布団に座りながら口にする。

「織田上総介信長」

「どちらとしても余には代わりはない」

少年はそういうと、口元に笑みを作った。




織田信長。

戦国時代をかけた武将の中で、日本を統一しかけたことのある武将としてあまりにも有名なその武将こそが、その御霊の正体だった。

かつての栄光をその手にするため、偶然にも乗り移ったのが光燠だった。

閑話休題。




「で、おじーさんがその余になんの用かな?」

まるで幼い子供に言い聞かせるような口ぶりで光燠は自らの祖父に話を促す。

「うむ。…手塚一真を覚えておるな」

「…忘れるわけがなかろう」

光燠が心で交流し、やって来た巨大な力を持ち、それをまったく理解していない少年。

織田信長の野心の裏に存在した真実を見て、そして友になると言った子供だ。

「…そやつの付き人をつけることをこのたび決めた」

「…あやつ、使い人ではないとほざいておったが?」

最後に別れたあのときに聞いた言葉を思い出しながら、光燠が口を開くと総一郎は面白くもなさそうに鼻で笑った。

「…本人はそのつもりはなかろうがな」

「自分を知らないにもほどがあるということか?」

「その通りだ」

ふむ、と少年は少し考え、それから口を開く。

「で? 一真に付き人をくれてやるとして、誰が行くのか…そこの子か?」

自分の事を指され、梨乃は小さく会釈しながらうつむく。

「この者はおぬしの付き人だ」

「…? 余はまだまだ修行中の身ゆえにその儀は断る」

「断られても、こちらは困る。…手塚家に行くのならば、よく周囲に気配りができる人間をつけて置いたほうがよかろう」

「……おじーさんの口ぶりだと、余が一真の付き人だと聞こえるが?」

その通りだ、と祖父の頷きに孫は目を丸くした。

それほど前代未聞なのだ。

使い人の一族の人間が、他家に付き人として赴くなど。

「…一真はそれほどまでに力を増したのかのぉ?」

「それはおぬしが行ってじかに確かめるがいい」

光燠はくつくつと楽しそうに笑う。

その様子はどう見ても小学生には見えはしない。

うっすらと梨乃の目には、光燠の姿の上に透明な、武将の姿が見えた気がした。

「…今の一真の状況はどんなあたりかの?」

「…その力を利用されんように地使いが駆除しておるが…」

「…おるのか? そのような命知らずが」

光燠の目がひやりとした冷たさを増した。

「…風牙衆というのがおってな。これが…判らん」

「………神凪の奴隷一族か。いや、これは失言じゃったの。今は神凪から八神和麻に管理が移ったのだろう?」

うむ、と総一郎はそれに頷く。

神凪和麻の『継承の儀』に褒美として奪う形で、風牙衆は彼の配下となって神凪本家から分離した。

風牙の力の源を抑えているのが本家なのだから、ポーズだけだろうと高をくくった神凪一族はここで大きなしっぺ返しをくらっている。

現在、法的に神凪和麻は勘当されたことによって八神家の養子となり、その彼に従うという形で風牙衆も神凪から一切の接触を絶っている状態だ。

いや、少なくとも絶とうと努力している最中なのだ。

「今、八神和麻は日本にはおらん」

和麻は修行に行くと大陸に出た。

その間風牙衆は、今まで通り風巻兵衛が一族の長として采配している。

「八神和麻には風牙衆を統括しようと言う気はないらしい」

「名前だけの管理者か。風牙衆にとってはこれ以上もない存在よの」

「八神だけで収まればよいがな」

「…一真までも利用しようと?」

うっすらと光燠は笑った。

「確かに一真はだましがいがあるだろうてよ」

口元は笑っているが目は笑っていない。

「おぬしと手塚一真は、少なくとも我々よりも面識はある」

面識どころか、彼とは夢渡りの実験と称してよく光燠が夢で会っているのだが、そのことは総一郎はしらない。

それによって彼は一真に親愛の情…兄のような弟のような感情をもち、それが執着と言う形で回りに表現されているのだ。

光燠はともかく織田信長としては初めてのことであった。

「あぁ。それで余に白羽の矢が立ったわけか」

「うむ。おぬしの目が届かぬところは梨乃が動く…。光燠。行って『麒麟』を守るがいい」

祖父の言葉に孫は、目を細め、そして口を開いた。

『麒麟』という言葉の意味を理解したが、あえてその名を守るとは彼は言わなかった。

「よかろう。手塚一真は余の友だ。友を守るのに理由はいらぬ」






ここに、使い人史上、最強の二対の一つが誕生した。


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「毒を以て毒を制す」/毒を消すために他の毒を用いる。悪を除く為に悪を使用する。

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