(2)世界を閉ざす賛美歌
(前編)
「貴女さえいなければ、厳馬様は!!」
あぁ、久々に見た。
この夢。
崖の上から気がつけば背中を押されていて、とっさに覚えたての『気』を張り巡らせたけれど、やっぱり凡人で落ちたショックで今にも死にそうになったあの日のこと。
落ちていく過程で見たのは、美しかったはずのあの人の顔がひどく歪んでいて、そして笑っていた、あのなんとも形容しがたい顔のあの人と。
ここで死んだら、息子との約束が果たせなくなるから、何が何でも生きなくっちゃと思ったこと。
その想いが、精霊たちを呼び、そして魔術師に目をつけられた。
その淡い光がきれいだとか、なんとかいわれ、あたしの頭を思考することはそこで凍らされてしまった。
全裸にされ、なにかの液体の中であたしの身体は保存された。
昏睡状態で、眠りの中、何も考えられない状態で炎の精霊をほんの少し動かしているその状態のまま。
生きたオブジェとなって。
それを発見したのは、10数年間、あたしは死んだものと教えられてきた実の息子。
自分の恋人の敵をとりにやって来た彼は、あたしの姿を見て驚愕し、そしてさらに幾人かをその風の刃で息の根を止めさせたそうだ。
助けられたあたしは、かけられた魔術の副作用か目が見えない上に他の感覚もつぶされていた。
真っ暗な視界の中で、あたしは息子と知らずに彼にすがりついた。
「子供が、和麻が待ってるのに」
あたしがうめいたその言葉が、彼の心にどんな影響を及ぼしたのかは判らない。
あたしはその後、ただただ抱きしめられていた。
あれからすぐに、あたしはまた眠りについた。
ふと柔らかなものが瞼と額に押し付けられて、あたしは眉をひそめた。
あれ以来、あたしはすごく寝汚いというか寝起きが悪くて、二度寝三度寝は当たり前で、治そうとは努力しているのだけれど一向に治らない。
目を開けると、息子のドアップ。
「シン?」
「おはよう、母さん」
紅の瞳があたしを写している。
「…おはよう。今、何時?」
最初は本当「うぎゃああ」とか叫んでものすごく照れていたけれど、怖いことに慣れてしまった。
「9時。和麻が飯作ってる」
「うぅ、お母さん失格だねぇ、ごめーん」
そう言いながら身体を起こした。
あたしの部屋だといわれたこの部屋にはキングサイズのベッドがでん、とおかれている。
和麻が昨日のうちに即効手配した寝具の中でも大きなこれは、もちろんあたしだけが使うわけじゃない。
…。
うん、実はシンとディスティニーと、そして和麻もここで寝ているのだ。
こう言ったら異常だと人は言うだろう。
この年齢にもなって息子と一緒に眠っているのか、と。
…正直、あたしも一人で寝れるよ、とか言いたかったのだが息子たちは首を縦に振ることはなかった。
それはあたしが、ずっと昏睡状態に陥ったことが原因だ。
…実の息子の和麻は寝てしまった後、またあたしがそのまま眠ったままにならないか心配で。
義理の息子のシンとディスティニーもそんな和麻を心配していつも一緒の部屋で寝ているのがくせになったらしい。
……あたしとしては恥ずかしいっていうのもあるのだけれど…。
まぁ彼らに恋人ができればさすがに母親に添い寝、とか母親と一緒の寝室で眠るということはしなくなるだろうと思ってる。
けれど、やはり注意しなくてはならないのは…。
「…シン、でこちゅー、またしたでしょ」
慣れたとはいえ恥ずかしいのだから、と母親的説教を三人にしたというのに、シンも和麻もディスティニーも話を聞いてるときはこくこくと素直に頷いてるのに、ちゃんと守ってくれたことはない。
「オーブの挨拶…」
「…はい、嘘!」
びしり、と指を刺すとシンはべろっと舌を出した。
コズミック・イラの時代の挨拶の仕方というかあちらの常識とかはちゃんとタリアさんに確認してあるのだ!!
シンの教育とかに困ったらいやだから!!
過度なスキンシップを眠ってる間にされるのは、お母さん許しませんって何度も言ってるのに。
起きてるときはハグハグとか、むぎゅーっとかされるのはぜんぜん構わないけれど。
そしてなにより。
「そういうことは恋人さんにするもんです」
ちゅーは恋人さんにするものです。
そう寝起きの姿のまま力説すると、しれっとシンは言い切った。
「愛しい人にするんなら、母さんにもしてもいいと俺は思うんだけどなぁ。和麻だってしてるし」
「お兄ちゃんの真似っこ?!」とか言ってるとディスティニーがのっそりとやってきてベットの上に上がると頬をあたしのそれにこすりつける。
「早く起きろってさ」
「はーい、じゃあ着替えます」
「うん。早くね」
「くぅん」
シンとディステニーを部屋から出すと、ベットから立ち上がる。
シンが起こしに来てくれたおかげで、あの悪夢のショックは薄れてるけれど…。
ふいに思い返しそうになって、頬を軽くたたいて、着替えを出して身支度を整える。
部屋を出ると朝食の香りがした。
キッチンにいるのは黒いエプロンを見につけた和麻と、その彼と軽口たたきながらお皿を出してくれているシンと、寝そべっているディスティニー。
暖かいこの空間。
悪夢の残滓が薄れていく。
うん、大丈夫。
今日もあたしは元気。
「おはよう、和麻」
「あぁ、おはよう。母さん。飯、できてるぞ」
「うん、顔洗ってくるからちょっと待ってて」
今日から日本で生活するんだ。
気合入れて…そう、過去と向き合わなくちゃ。
そう思ったのにも関わらず。
「却下」
「えぇえええっ」
ものすごくにこやかに笑顔で即答してくれたわが息子。
「俺も反対だな、母さん」
「くぅん」
え、ちょっ、なんで?
「皆して反抗期?」
「「違う」」「わん」
朝食の和やかな空気の中で、息子に相談というか日本に帰国するまでに考えていたことを話すと速攻で一刀両断されてしまった。
…考えていたこと。
それは。
「重悟様にコンタクトをとること、そんなに駄目なことなの…?」
神凪重悟。
…炎の精霊に干渉して動かすことができる炎術師の大家にして世界でも最強の二文字を背負う「神凪」家の当主様。
一応、あたしは死んだことになっているとはいえ、しかも分家とはいえ神凪の血を引く人間で。
「生きてるってことだけでも、伝えておきたいの。せめて宗主にだけは」
本当は、よくお世話になった風牙衆の人たちや、友人や、もちろん実家にも顔を出したいけれど、ぐっと我慢してる。
死んだことになっていて、息子の話によると遺体はないが、葬式までしてしまったということだった。
それなのに10数年たって、しかもその頃のままのあたしが顔を出せばどうなることになるか…。
でもだからといって、日本に戻ってこれたのだから、血の連なる方の一人には連絡しておきたいというのは母の我侭でしょうか、息子よ。
「宗主に話せば、あの男の耳にも入る」
「和麻」
あの男。
いつも、そうだ。
うちの息子はお父さんのことを、そう呼ばない。
「その、あのね」
あたしが死んだとされたあの後に、…その…あたしと恋愛結婚したあの人は、あの女性と結婚して一児授かったんそうだ。
もはやあたしの大事なたった一人の人ではなくなってしまったわけで…。
…ちょっとフクザツ。
まだ少しだけ彼に裏切られた、というかそういう気持ちがないわけではないのだけれど。
あちらの家庭を崩壊させようとかそういうことは思っていないのだ、うん。
そう言ってしまうと朝食がひどく重い空気になってしまうので、口にはできない。
「母さんが言いたいことは判るけど…そうだな、今はやめておいてくれ」
食後のコーヒーを入れながら、和麻が微笑む。
フィクションでの彼は、どういう行動をとってただろう?
今は遥か彼方の記憶の中に埋没してしまったストーリーを思い出すことはできない。
この子は優しい。
身内にだけは。
「この間の仕事のときに、神凪の分家と接触した。そいつがそろそろ報告してる頃だ。あっちからのアクションがあるだろうから、それを見てからのほうがいい」
「…なんだ、もう接触したのか。誰?」
「分家の奴でな、お粗末な奴だったから名前も忘れた」
シンの言葉に軽く和麻は返した。
「もともと、神凪とは顔を合わせるつもりだから、母さんがすぐに動くことはないさ」
「…でも、和麻」
「大丈夫、お行儀よく俺が対応して、母さんを宗主には会わせてあげるからさ」
言外に「あの人とは会わせない」と言われて、あたしは苦笑いを浮かべながらも、頷いた。
過去との対決を先延ばしにされたみたいだけれど、正直心のどこかでほっとしたのは事実。
時を同じくして、神凪一族の会議で和麻が話題になっていて、宗主とそしてあの人…神凪厳馬その人があたしのことを思い出していたなんてあたしには知る由もなかった。
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原作の時間軸とは多少ずれてたり、しています。
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