(4)凍てついた皿にこぼれる炎

(後編)





「生きていてくれて、何よりだ。神凪

「…今の私は、八神です。…宗主には大変申しわけありませんが、神凪の名は捨てました」

あたしの言葉に宗主はただ眉を寄せた。

「霧香、これはどういうことだ?」

「シン君も、落ち着いて頂戴。…悪いようにはしないわ。さんだって、顔を合わせてお話をしたかったはずよ? そうでしょう?」

剣呑な息子の気配に霧香さんが少しばかり慌てながらあたしに話の矛先を向けてくる。

「えぇ。機会をもうけていただいて、ありがとうございます。霧香さん」

あたしがそう笑って言うと、シンがそれ以上文句言えなくなってしまった。

ごめんね、シン。

「シン、大丈夫だから。お話するだけよ」

「……あぁ」

シンはそう言いながらも警戒してる。

「…別にとって食べるわけじゃないから、そんな剣呑な気配をしないでくれないか? 八神・アスカ・シンくん?」

教えていないはずのフルネームを呼ばれて、くっと喉を鳴らしてシンが笑う。

「その程度は調べられるんだ。力しか脳のない神凪でも。いや、優秀な風牙衆のおかげだろうな、どうせ」

「シン」

喧嘩はしてほしくない。

この場所には関係のない、警視庁の術者の人もいるし…。

「場所はあたしが確保するわ。落ち着いてお話できる場所に移りましょう?」

そう言ってあたし達は移動した。

覆面とはいえパトカーに乗ったのは生まれて初めてでしたよ。

場所は高級の部類に入る料亭だった。

予約とか入れなくてここを手配できた霧香さんてば…いや、何も言わないでおこう。

「…神…いや、今は八神だったな。話を聞かしてもらえないだろうか?」

宗主の言葉に、あたしは深呼吸をして、そして話し始めた。

一番最初に、あたしが殺された、そして殺してしまった彼女の顔が頭をよぎる。

心が冷たくなってくる。

炎術師なのに、氷を胸に抱いているような錯覚。

それを感じながら、あたしはあたしを殺した彼女の名前を出さずにあたしのこれまでの経緯を説明した。

宗主の痛ましい表情を、雅人さんの様子をあたしは他人事のようにそれを説明する。

もう一人の人は、周防さんとおっしゃるそうだ。

あたしが神凪の家で死んでしまってからの側近の方は、ありがたいことに無表情だった。

…うん、あたしが感情を入れてしまうと、隣で拳を握り締めているシンのそれに油を注いでしまう可能性があるから。

殺されかけ、九死に一生を得たと思った瞬間、あたしの身体は、ある意味魔術師達にもてあそばれた。

見目がいいからと(あたしの肉体ではなく、あくまでもあたしによりそう精霊達の光が、だ)オブジェにされ、生きたまま、何も考えられずにいた長い年月のこと。

そして最近になってようやく息子たちに助けられ、歩けるようになって日本に帰国したこと。

大まかにそう伝えてみると、霧香さんは表情は変えないが、多少なりとも顔色は青ざめていた。

…気持ちの悪い話を伝えてしまったなぁ、と一瞬、思う。

「息子、たち?」

「えぇ。八神和麻と、この子、八神・アスカ・シン」

それからディスティニー、と小さく呟く。

それだけで今は姿を現していない、シンのチャイルドは理解してくれる。

一方、宗主と雅人さんはの家のことを教えてくれた。

神凪の分家としては居辛くなった父母はの家の中に引きこもってしまったということだ。

やっぱり、顔は見たいが、無理に行ってまた混乱させてはまずい。

「……神凪には、なぜ戻ってこない…。いや、そうか…」

「えぇ、あたしはもはや死んだ人間とされていましたし、何よりももう神凪には居場所がありませんでした」

愛した人は、あの人を愛しているのだから。

そう呟くそうになって、唇をかみ、そして淡く微笑を浮かべて誤魔化した。

「神凪を殺した者は、いまだ神凪にいるのだな」

血を吐くような宗主の言葉にあたしは視線を宗主のそれと合わせた。

「……それを知ってどうします? 断罪しますか? 神凪がもっとも得意とする力による」

弱者をさらに貶める強者として、と言おうとしてあたしは止めた。

「生きている、ということだけ宗主に伝えたいとは思っていました。かつて神凪の家に生きていた人間として。…でも、もうあたしは八神として生きていきます」

あぁ、あたしは宗主にお別れを言いたかったのだ。

そうすることによって、神凪一族から、彼女から、そしてかつて愛したあの人から…お別れができる。

このもやもやとしたココロになにかしらの決着がつけられる。

実家の父母が生きていたら申し訳ないのだけれど…でもきっと両親の中でもあたしはもうすでに亡くなっているから。

「待ってくれ、ちゃん…いや、さん」

雅人さんがようやく口を開いた。

「…厳馬殿は、どうする…?!」

だん!! とシンが机をたたいた。

「あの男の話は、するなよ…っ!!」

「シン」

シンは和麻から聞いて、そしてあたしからも聞いて、知っている。

ぎりっと歯を食いしばる。

「君こそ、厳馬のなにを知っている…っ!」

そう宗主にするどくいわれ、シンはその気迫に飲まれようとしたけれど、けれど彼自身の真紅の瞳は怒りで煌き始める。

「シン、お願い」

そっとあたしが拳の甲をたたくとシンは握り締めたその拳から力を抜いた。

「…げん…神凪厳馬様にとってはもはや神凪は死んだ人間。死人がどうこうと言えれる立場ではありませんし、八神といたしましては、ただの…そう、火術師一族神凪一族の方、で、もはやあたしとは縁のない方と」

、さん」



「さようなら、神凪宗主…神凪重悟様」

ようやく、あたしは別れの言葉をちゃんと口にできた。

笑えた。

宗主は力なく、痛ましいものを見るような表情を最後まで崩さなかった。

後のことを霧香さんにお任せして、あたしとシンはそのお店から出るとタクシーを拾って家路に着いた。

「なんだか疲れたね、シン」

だからもう歩き回る気力はなくて、家でごろごろしておこうと決めたのだ。

うん、シンが。

「霧香が急にセッティングしたのが悪いさ。…まぁ、母さん的にはさっさと用は済ませたんだから、いいってことにしておくんだろう?」

「うん」

あたしが頷くと、シンが肩の力を落とした。

何か聞きたそうな、それでいてタクシーの運転手さんがいるからか、聞けないようなそぶり。

マンションの手前でタクシーから降りて、シンに手をつないでもらいながら(すでにあたしの足はすこーーしばかり限界に近づいていた)、歩いてると。

母さんは、よく許したよな」

「誰を?」

「…母さんを殺しかけた女、いや、実際には殺した女。母さんを助けられなかった神凪厳馬、神凪一族」

深いため息をつく。

「シン」

「ん?」

お母さんね、いろいろ考えたの。そりゃあうらんだり、悲しんだりしたけれど…でもあたし、一人じゃなかったでしょう? 和麻がいて、シンがいて、ディスティニーももちろん傍にいてくれて。そうしたらね、あたしの中のどろどろしたものがね、なんか…どうでもよくなったの。うぅん、本当は、どうでもいいようにって思えるようになった」

母さん?」

エレベーターの中は二人きりだったので、話を続ける。

「だってずっとうらんでばかりで後ろを向いてたら、前を向いてくれてる息子達や、傍にいてくれる人たちに申し訳ないでしょう?」

シンはきょとん、としてあたしを見つめてから、くしゃりと表情を緩めた。

母さんってさ、すごいね」

ぜんぜんすごくないよぉ、とあたしは言った。

「すごいのは、シンと和麻とディと、あたしを支えてくれる人、全部。あたし一人じゃなかったら、きっと今頃神凪に特攻かけてたもの」

指を絡めて笑えた。

「だから、ありがとうね。傍にいてくれて。神凪宗主たちと会うの、一人だったらどうなってたかわからないから。傍にいてくれて、本当にありがと」

そういうと、あたしの息子は照れたように笑った。





その日のご飯は、和麻に電話してお惣菜を買ってきてもらった。

神凪宗主の人間と会った、と息子に言うと「俺も会ったぜ」とだけ小さく言ってきた。

「母さん的に満足のいく会合だった?」

そう聞いてきたので、頷いておいた。

「宗主にちゃんと挨拶と、それからお別れができたからね…」

「…ん。母さんが満足したのなら、それでいいよ」

和麻は優しくそう言ってくれた。

「俺はまた今夜、ちょっとまた出るよ」

「神凪と会うの? シンも一緒についていってもらったほうがいいんじゃない?」

「いや、一人でいいよ」

そう笑う長男の様子にあたしは気がつけばよかったのだ。

まさに今夜。

小説で読んだことのある親子対決が行われようとしたのだから。


そして案の定、あたしがそれに気がついたのは次の日の朝、和麻が朝食を作ってくれて、それを口にしたときだった。





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