(5)勝利の方程式

(後編)





ゆっくりと意識を覚醒させると、その風景は緑の多い公園だった。

「時間通りか、結構」

あたしにはけして向けない冷たい、その声音にびくりと震えてしまう。

あたしの息子、八神和麻が咥えていた煙草をぎゅっと握りつぶすと携帯灰皿にそれを入れる。

「……余分なものがついているが、まぁいいだろう」

その声が向けられているその先にいたのは綾乃ちゃんだった。

「あたしは、見届け人よ」

綾乃ちゃんの言葉に、和麻はまるで彼女がいなかったように視線をはずすと彼に向かってこう言った。

「さて、やるか」

彼女の存在を無視したことに怒りかける彼女だったけれど、なんとか思い直して堪えている様子をあたしは目の端に入れていた。

あたしの視線そのものは、目の前に立つ人に向かっていた。

……神凪厳馬、その人がそこに立っていたからだ。

歳を重ねて、顔に皺も増えてるけれど、間違いなくあたしがかつて愛した人。

…あたしを忘れ、あの人を愛している人。

ちりっと胸のどこかが痛む。

うう、どうしたあたし。

あたしの方が今は身体的にも精神的にもすっごく、すっごく若いのだから、きっと彼よりもすごくいい人を捕まえられるのだ。/うそつき。

だから彼を愛している気持ちなんて/認めちゃいなさいよ。

きっと忘れられる。/あれだけ愛して愛された過去を「ない」ことにはできないの。

大丈夫。/まだ好きな癖して。

落ち着け、あたし!

それでも泣きそうなあたしのそれに、勿論その場は待ってくれない。

「どうしてもか」

「先に手を出したのは神凪。話し合う時間すら与えず追撃してきたのも神凪。昼間は見逃して、こうしてわざわざ戦う場まで設けてやった俺に対して、それはないんじゃねーのか? 神凪厳馬」

「和麻。本気で神凪に勝てるとでも思っているのか」

「今更だろう」

轟!!

風が、精霊たちが息子に集結する。

「貴様には失望した」

「これでも俺はあんたを尊敬してた」

和麻の声がえんえんと響く。

「だが、幻滅した。神凪厳馬。あんたは、最愛の女を助けられないばかりか、今も苦しめてる」

「?!」

何言うの、和麻!?






ぶつんっ。

次の瞬間、その風景はまるで電源を落としたテレビのような音を立てて消えてなくなった。






「やぁ? どうだった? 最愛の夫と息子の対決シーンは」

「…いいところで、これからというところで、消しておいて、何を」

「あぁ、わざとだよ」

さわやかな笑顔であたしの夢の中に、彼が出てくる。

短く切りそろえたプラチナブロンドにアルトの声。

あたしはもう一度、本格的に意識を覚醒させる。

瞼を開ける。

気力という、何かを身体に巡らせる。

今まで見ていた空間ではない、現実としての今のこの場所を目を通して視る。

どこかの洞窟の中の、魔術的儀式のその場所にあたしは連れてこられていた。

「火を使おうとしても無駄だよ。三昧真火は封印以外に力は貸せない。そういうようにしてあるからね」

三昧真火?!

もしかしてここは…。

「あれ? 君は知ってたのかな? ここは風牙衆の神が封印された場所さ」

やっぱり。

あたしは声の主の姿を探す。

頭上、洞窟の壁にある妙なでっぱりの所に、姿形はまさしく天使のそれの少年が、あたしを見下ろし笑っていた。

「…確か、ミハイル、と」

「あぁ、そうだよ。そこは聞こえてたんだ。えらいね」

小さな子供を褒めるように彼はそういい、笑う。

「僕の名前はミハイル・ハーレイ。星と英知の名の下に、君の息子を殺すものさ」

星と英知の名の下に。

恐怖が襲い掛かってくるのを、あたしはなんとか堪える。

「…敵討ち、ね」

彼は何も返さない。

ただうっすらと微笑むだけだ。

あたしをこの人はどうしようというんだろう。

「君の事は良く知っているよ。君の裸体と炎の精霊はとても綺麗なオブジェの一つだったからね」

血の気が引く。

立ち上がろうとして、ワイヤーでがちがちに両手足が縛られていることに気がついた。

っ。

「最初は神凪煉とか神凪の一族か誰かにしようって考えていたのだけれど…彼は血が半分通った弟でさえ動こうとしなかったからさ。君に手を出したんだ」

「おとう、と?」

「あぁ、厳馬が君を失ってから、彼女と作った子供だよ。今手駒に使ってるけれど、後で会わせてあげようか? なかなか見目は可愛らしいよ」

あの人と、厳馬、さんの、子供。

っ。

どろりとした負の感情を、あたしは一瞬にして押さえつけ、そして消し去る。

「へぇ…。すごいね。自分を殺して男を奪った女を、許しかけてるし、その子供に対しての憎しみも薄れてる、か。なかなかどうしてできた人間じゃないか。八神

「その方は、我らが神凪で唯一認めたお方ですからな」

第三者の声にはっと気がつく。

覚えてる。

神凪の屋敷で幾度となく話をした人物で…あぁ、よく考えてみれば、あたしはわかっていたじゃないか。

「…風巻、兵衛、さん」

「お久しぶりです。奥様。このような場所で、本当に申し訳ない」

ワイヤーが鋭い何かで切断されて、あたしの四肢は自由になった。

「兵衛?」

「この方は何もできない。ならば拘束している道理もありませぬ」

「逃げるだろう?」

「風より早い炎はない。そして、彼女は逃げませぬよ」

兵衛さんはそう言うとあたしの手を取り、立たせてくれる。

「暖かい…」

「え?」

「よぉ、生きておいででした」

兵衛さんの手は冷たかった。

「そして申し訳ございません。奥様。今宵、神凪一族は壊滅します。貴女様に恨まれるのも承知の上。…許してくれとは申しません」

「兵衛さん」

「風牙の怨嗟、今宵で晴らさせていただきます」

「それはその女も殺すってことだよねぇ? 兵衛」

「ミハイル殿。彼女は、神凪ではない。八神の人間。我らの恨みつらみには関わりのないお方」

「……僕の恨みには関わりがあるのだけれどね」

「我らは同盟を結んだ、ただそれだけではありませんか? 八神和麻を殺したいが為に貴方は我らを利用した。我らは神凪一族を滅ぼしたいが為に貴方の英知をお借りした」

「…まぁね。だから君達は彼女には手は出さないって?」

「えぇ、彼女には」

ふぅん、と気のない返事を彼はすると、小さく溜息をつく。

「まぁ、いいか。君達は手を出さないけれど、僕は僕で彼女に手を出せばいいことだし」

ふいにあたしの手をとった兵衛さんの手に力がこもる。

けれど彼は顔にはけして出さない。

「ミハイル殿」

「判っているよ、風牙の長殿」

天使の微笑みが浮かんだ。

「八神。僕たちの復讐劇、楽しんでもらえたら嬉しいよ」

「っ」

怖い。

この子、とても、怖い。




「対価に君とその息子達の命は最後に貰うけれど」






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