修正前

右眼があった場所が、じくりと痛む。


右眼があった場所が、じくりと痛む。
あの 魔王 おんなが嗤っている気配を感じ取る。

Shitくそが

舌打ちしたい気分だが、それを実行に移すだけの気力がなくてわたしは息を吐き出すだけにとどめた。
今、わたしの片目が映しているのは少しも汚れていない船室の天井だった。
さぁ、光武の隣で刀剣の修復作業に入ろうかというときに倒れたのだ。
全く持って無様。
意識を失いかけるときに見たのは 実験動物 モルモットか何かを注意深く観察する老人の目。
…。
あぁ、うん。
…通常運転すぎて、逆に冷静さを取り戻せた気がする。
身体を起こすと、指やら腕はまた綺麗に包帯がし直されているのが解る。
この体調の悪さは 始祖女神 あの魔王からの呪詛だけじゃなくて、血を取られすぎの貧血もあるんじゃなかろうか?
今、船がどのあたりなのか全くわからないから、気功法での自己回復が全くできない状態なのが悔やまれる。
(いや、そろそろ神が信仰されていた国自体は離れただろうが)
わたしはベットの縁に座った。
簡素な船室で、一人部屋には最適だが刀剣を修復するには向いていない。
少し足に力を入れて立ち上がろうとしたときに、空気が揺らいだ気がした。
この空気は覚えがある。

ちりん、と小さいが鈴の音がする。
わたしは思わず笑った。
表情に出たかはわからないが、確かに笑ったつもりだ。
錫杖につけられた小さな鈴は、あの時に知り合った子供とマネカタがつけたもの。
もう、そのマネカタ達の姿はなく。
あの子供もわたしの傍にはいない。

「3、4年ぶりじゃないか?」

わたしは片目を向けた。
同じく彼も隻眼だ。

「大きくなったな。」

こつ、と床に錫杖の底が音を立てる。
と、同時に彼から風が吹いてきてじょじょに足元に砂がたまりだした。
熱砂砂漠を思い出す。
この老人とならば、あの時の――。

「息災で何より、と言いたかった」
「あぁ。」
「…何故、我らを呼ばなんだ? と言いたいが…その理由も察することができる。あえて、問うまい…」
「…あぁ。」
「よくぞ…無事であったぞ。」
「あぁ。」
「うむ…。 其方 そなたはいまだ現世で修行の身… 死して 混沌王 あの方の下に行くのはまだ早計というもの」

紫色の布で眼帯紛いのように巻き付け、同じ色をした忍者装束のような服に襤褸布を纏っている。
錫杖は長く、背筋は少し折れて曲がっていて小さな体躯に感じる老人。
東京受胎中に知り合い、時には背中合わせに戦った『とんでもニンジャもどき』なこの老人は、 何と言おうか…わたしがかつて『』と呼ばれていた【とんでも戦国時代】をループしていた頃の、同じくループしていたらしい地方領主その人で。
あれから人の魂のままではなく、 悪魔 神仏 としての存在を確固にしているらしいし、その存在を盤石にするために魔界でずっと修行しているのだと聞いたのは『今の自分』として再会した時だ。
本来の名前はもう呼べない―何かしらの法則によって、と説明を受けたが覚えていない。―がその異名は呼んでもいいので、 ずっと彼の名前は『霊魂不滅』と呼んでいる。
『とんでも戦国時代』で生きていた当時は知り合う接点もなく、東京受胎中の東京の砂嵐の中で出会った老戦国武将に 今のこの世界上で知り合う事に成ったのも、おそらくは 偶然 必然 だったんだろうな、と淡く思う。
そんな彼が一歩一歩、わたしに近づくたびに砂は多くなり、部屋の輪郭が薄れていく。
悪魔が使う『異界化』だ。
現実世界が悪魔の世界に浸食され、 腰かけていたベットが消え去り、そのまま岩場になる。
固いはずの床は柔らかな砂に変わった。
黄色い砂の間に車や倒れた建物が見え、空中にはマガツヒ――――まんま、東京受胎時の東京そのものじゃないか。
わたしは片目を細めてマガツヒを見上げる。
懐かしさが多少湧いてくる。
世界が再生される以前、今の『わたし』を形成する前の『俺』は、 かつての「混沌王」 人修羅とそして数人の仲間と出会ったのだ。

………あれ?……………………………いや、待て。
神化して悪魔化することは予想というか予知されていたらしいが、それをこの悪魔 爺さん は知らなかったのか?
そう口にしなくても伝わったのか、 『霊魂不滅』 爺さんはただ片方しか目を向けて、淡く微笑してくる。

…あぁ、うん。納得した。

なんというか、内心溜息が出る。
なるほど。
混沌王勢力の悪魔たち 爺さんたちの中では死のうが生きようがどんな結果になっても最終的に 【わたし】は 自分たち側に立つ 悪魔化することが確定しているようだ。

予知通り、悪魔に転生しようとも。
予知からそれて今回のことで死んでしまっても。
どうあがこうと輪廻の枠からはもうそれてしまっている存在としている。

「本当に嫌ならば、儂にその時言えばよい」
「解った。」

混沌王ではなく、違う〔何か〕のところに連れて行くんですね。解ります。

どれだけ顔馴染で絆を深め、(別世界であろうとも)元人間であるといってももはや 悪魔 人外の存在になってしまった相手の言葉を真に受けてはならないし、人間感覚の解釈をするのもいけない。
ましてやこの世界は、神族同士がぶつかり合って水面下で敵対しあっている世界だ。
混沌王配下の悪魔であってさえも、『霊魂不滅』 爺さんの神族であってもそれは変わりない。
そう考えていることを顔には出さずに「どうした?」とばかりに見上げると、微笑を浮かべたまま懐から何かを取り出した。
なんだ、それ? という私の疑問に何も語らず『霊魂不滅』 爺さんに手渡される。

「視力が元に戻るわけではないが、そのままにしては障りがあろう」

義眼代わりに入れろ、ということか。
片目で眺めていると一回り小さくなったような気がした。
水晶球の中に珊瑚の星が浮かんでいるような物体は、瞬時に乳白色したものに変わった。
鉱物に見えるのだが触ると柔らかい。
指で全体的に判るようにその感触を確かめていると、わたしの瞳孔と同じ色のそれが見えた。
義眼代わりになるように、変わったのか?
いや、オッドアイ的な何かにならないのですごく助かるが。
気が付くとと顔半分に巻かれていた包帯がはらりと解かれて、電撃魔法に焼かれた肌が露出されていた。
皺だらけの掌が、わたしの頬を撫でるのが解る。

「…そろそろ海域は抜けておるし、ここは我が領域内…」

あぁ、そこまで船は進んだのか。
そう思った途端、柔らかな魔力を感じる。

おん かかか びさんまえい そわか ディアラハン

ちりっとした痛みが顔を走り抜けていく。
真言に込められた回復魔法に何かが反発する様な感触に、顔を顰めたのは老人の方だった。

「消えぬか…。やはり魔王の呪詛よの」

そう呟いてからすぐにまた真言が唱えられた。
ちりん、と杖の鈴が鳴る。

おん かかか びさんまえい そわか カトラディ

真言に込められているのは聞きなれない魔法だったが、上手く利かなかったらしい。
小さく「まだ修行が足りぬようだ。」という言葉が耳に届くし、右腕に残された火傷痕――正確に言えばあの魔王の電撃魔法の痕――が残っているのを、なんとなく不愉快そうに見ているのが解る。
わたしはそれに構わず「(回復魔法かけてくれて)ありがとう。」と言ってから、自分の瞼にそっと指をはわせて押し開けて、空洞だろうその場所に渡されたものを入れようとした。
…と、いうか自分から入った気がするぞ、これ。

ぬるん、というか。
瞼の裏に変な『ぐるん』と動く感触を感じる。
それと何やら液体か何かを出されていることも。

『霊魂不滅』 爺さん…これ、生きてるのか?」
「いや、生きてはおらんはずだが?」

え。

瞬きを繰り返す。
別に見えるわけではないが、瞼はちゃんと動いた。

「龍の頭蓋から出でた宝珠よ。視力は戻らぬが、今後はお主の助けになることだろう」

…脳内でその言葉から推測できる道具の名前が瞬時に出てくる。
〔如意宝珠〕か!
魔界でもほいほいないはずだぞ、この聖遺物。
というか。

「どこの竜神の頭蓋叩き割った?!」
「それは聞かぬ方が良い。」
「やったのは爺さんじゃないのか?」
「『神速霊将』殿が修行の折に入手したと。会いに行くと言ったら、お主に渡してやってくれとな」

『神速霊将』とその『従者』は 『霊魂不滅』 爺さんの同類だ。
あのとんでもない戦国時代の元戦国武将。 前世のループ戦国時代 あちら でまったく接点がなかったのに 東京受胎中の東京 こちら で接点を持った。神族はほどよくこの爺さんと関連性が強く、今では確かその異名と共に『ビシャモンテン』になっていると聞いている。
修行で竜神と戦う、ねぇ。
いや、いいけれど 問題はそこじゃない。
問題はそこから得た宝物を一介の人間に渡してもいいと判断していることだ。
〔如意宝珠〕はもはやチートな代物だ。
竜神の頭蓋、あるいは顎の中にあるという宝珠で手にしたものは何でも手に入れることができるし、火に負けなくなる。ついでに毒が効かなくなるとされている。
仏教系でも菩薩の一部が持っているような、言ってみれば魔法の道具。
わたしは、一応、まだ人間だ。
死にかけたおかげで、悪魔化のとっかかりを得たようだがまだ自分が「何者か?」と問われれば「人間だ。」としか言えない。
それに予知通りに悪魔になったとしても悟りを得た 悪魔じゃないに決まってる。
おそらくは戦闘狂系で、たぶん日本特有の神に違いない。

「良い。お主にはそれが許される」
「どうだか。」

わたしは反射的にそう返していた。
仏教系は日本に入り込んでお互い人々からの信仰を食い合ってる間柄で。
だから仏教系の悪魔と天津神・国津神、けっこう水面下で敵対してるんじゃなかったか。
たとえそれは混沌王の関係者であるとしても変わらないはず…って今、自然にわたしの思考を読んでなかったか? この悪魔 爺さん

「視力の代わりになるわけではないが、おぬしの助けになるだろう。使ってみよ」
「伝承通りの力があるのか?」

その言葉と同時にふいに視界に半透明の『窓』が浮かび上がった。
まるでゲームのコマンド画面だ。

『如意宝珠 絆Lv1 耐火炎,加護+20
 特殊効果のない小さな消耗品を作れます。創造しますか? はい/いいえ』

どこかにあるものを持ってくるんじゃなくて、創造と来たか。
……それでいいのか。…いや、わたしは別にいいけれど。
その指示に従って、右半分の顔が隠れるほど大きな眼帯を『創造』する。
気持ち、力が抜けたが気がするがそれほど気にするほどでもない。
ふわり、とわたしの手には大き眼帯が出来上がっていた。

『如意宝珠の使用頻度によって絆Lvが上昇します。上昇するたびに効果が追加されます』

使えば使うほどいいのか。
それでいいのか、如意宝珠。
わたしはその一文を見なかったことにして眼帯を付けた。
これでまぁ、如意宝珠を入れている方の顔面――火傷痕がひどい側――を包帯なしで隠すことができた。
邪教の館の主にこんな道具を持ってるとばれたらまた狂喜乱舞で「寄こせ」と言われかねない。
…あぁ、そう考えたら邪教の館の主 あっちの爺さんにはばれないようにしないといけないか。
とりあえず眼帯だのなんだの作ったものは 『霊魂不滅』 こっちの爺さん関連ということにしておこう。
嘘は言ってない。
船内での異界化もきっと気が付いているだろうから、わたしに縁がある悪魔が来たことを理解していることだろう。
わたしがきちんと眼帯をしたことを確認すると、りん、と杖の鈴が鳴る。
もう一度真言を唱えて、わたしの中のけだるさを魔力で消し去っていく。
それでも傷つけられた肉体が修復することはなかった。

「やはり完全に呪いを解くにはかけた本人に交渉するほかあるまい…」
「勘弁してくれ。あの女にはもう会いたくない。」

わたしは即答していた。
「良いのか?」という視線にわたしは頷いておく。
あの女魔王の同程度の高位分霊だとしても性格的にわたしと合わなくてきっと戦闘にることは確実で、そうなると圧倒的にわたしが不利なのだ。
いくらわたしでも、最初からなんの策もなく勝利の光も手段もない戦いに進みたくない。
そう言うがなぜか老人は小さく苦い笑いを浮かべただけだ。
失礼だぞ、わたしは混沌王とは違う。

「そう言えば、おぬしの刀剣は無事であったか?」
「…少しこの空間を借りていいか?」

元戦国武将の性なのか、刀剣を見ること、触れることは嫌いじゃない老人は頷きで答えてくれた。
この爺さんと再会した時に主に使っていたのは…。

特殊・物霊収納 解除 出てこい

霊力と完全同化していた刀剣―打刀―がずるりと出てくる。
刃はボロボロに刃毀れしていて見る影もない。
鍔はかけているし、柄もわたしのか悪魔のものか解らない血に染まっている。
鞘も最初に拾った時よりもひどい状態になってしまっている。

「ひどいな」
「あぁ」

刀身自体を霊力を押し流して 特殊:物霊修復を使って修復する。

おん かかか びさんまえい そわか ディアラハン 

思わず、といった手合いで隣の爺さんが回復魔法をかけている。

「あんた、魔力 MP大丈夫か?」
「あぁ、まだいける」

……そうじゃなくて。
物体に回復魔法かけたって直りはしない。
そんな当たり前のことを解っていても、刀剣好きな存在にとってはひどい状態なのはわかるが。

精神力ではなくて 霊力 命運をごっそり使って修復する。
欠けた鍔を。
拵えも鞘も全て。
名前だのなんだのを調べた時には最初に拾った刀の時と同じように、内心かなり動揺したことを思い出しながら。
そんな脳裏に、ふいになぜか天使の姿がよぎった。
この東京受胎中に出会った最高位の天使と共に、長い髪の女の天使の姿がだぶる。

大天使 ミカエル。

女の姿をしたミカエルなんて、見たことがないはずなのに不思議とその女に対してそう思った。
そういえば、もしもこの刀が本物ならば――そんなことはあり得ないんだろう。本物は福岡博物館にある。――歴代の持ち主はカトリックの関係者だったが。
思えばこいつらにあった『微かな意志』はどうなっただろうか?
今回のことで消し飛んだのか? その辺りはよくわかっていないが。
気が付けば如意宝珠で下緒を作っていた。
女の天使が身に付けていた白と金の衣服と同じ色の平組紐だ。
なにをやってるんだ、わたしは。
そう思いつつ、刀身を鞘に収めて白と金の平組紐を正式結びで結んでいく。
まぁ、こんなざまだがわたしは生きてる。
お前は、どうだ?

辺切 へしきり長谷部」

瞬間、持っていた刀から桜の花びらが爆発する様に出現する!
なんだ?! どうした!
気配さえなかった!
持っていたはずの刀は、違う掌の感触を伝えてくる。

「ほう、これは驚いた」

爺さんの声が花吹雪の音と混じる。
何をのんきな。
あと絶対驚いてないだろ、あんた。
砂と花吹雪の中にいたのは男だった。
20代ぐらいのその男。
身に付けているのは黒い甲冑姿。
だがすぐに見えるのはそれじゃない。

背中には柔らかな白と金の羽根が見える。
天使。
しかもこの気配はただの「天使」ではない。
わたしの思考を他所に先程修復しきった刀を脇にわたしの手をとって跪いている男の藤色の瞳はわたしを捉えていた。

「へし切長谷部といいます…っ。主命とあらば、なんでもこなしますよ…っ。
  ようやく、ようやく男士としての身を得ました…!  あるじ っ!!」

本当だったら振り払って殴りつけるところだ。
だが、わたしは。

はらはらと涙をこぼし、桜をまき散らすその青年のその手を振り払えず、ただ彼の顔を見つめることしかできなかった。



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